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授業のページに「4年ゼミ-卒論第2稿出る」をアップ。
朱を入れて、これを返せば、あとは学生たちが大学に提出するだけ。
4年ゼミは、それにて終了と相成っていく。
12月3日は、7時こたつ起床、布団再就寝、
12時再起床の昼となった。
飲み過ぎだなあと反省しつつ、
楽しかったからまあいいか
と、自分を静かになぐさめていく。
それにしても、T村先生が週3で通っている
というのは驚きであった。
たまねぎ、しめじで、
熱々うどんをゾゾゾゾゾ。
思わぬ方面から「マルクスをしゃべってほしい」
とご依頼がある。
これも、マルクス・ブームのあらわれか。
4年生からは、卒論第2稿がメールでとどきはじめ、
こちらは、文科省の調査依頼に答えていく。
う~む、結構、手間がかかるじゃないか。
そのうちに、世間は、すばやく夕方となる。
白菜をザクザク切って、
えのきもパサパサ放り込み、
カキの鍋をつくっていく。
6時半には、パクパクパク。
途中、アマゾンから中国本がドサリととどく。
チャイムを押さず、
いきなりドアをドンドンたたく、
はげしいオッチャンによる宅急便配達であった。
夜は、週末の講演パワポをつくっていく。
メインは兵庫県労連の春闘討論集会だが、
「世界の構造変化に焦点をあてて」
というのがご依頼である。
さて、時間の限りでしゃべれるものか。
本日の万歩計は、絶望的な333歩。
「寝たきり中年」の1日であった。
明日は4年ゼミのコンパである。
全員、キチンと原稿は出せるのだろうか。
トナカイのオレが白クマを食う。
下克上の世の中である。
12月2日、夜8時半には神戸市勤労会館を出る。
講座の会場では、こんな本が売られていた。
9時には、憲法県政の会のK事務局長と合流する。
「三宮」の居酒屋で、ちょいとした相談。
そして、11時には店をかえていく。
政治話30分、世間話1時間半、
アホバカ話2時間といった全体の構成であった。
家にもどってみると、
万歩計は8249歩の「やや活動的」。
「玉造」と「三宮」での成果であった。
12月2日、1時から2時まで
来年度専攻ゼミの面接を行う。
内容は、ゼミの活動を紹介し、
あとは雑談をかわしていくだけ。
もし、こちらからの「選抜」が必要になれば、
事前に出してもらうレポートが材料。
各人の「入れろ、入れろ」攻撃に、
いまはまだジッと耐えていく。
何せ、面接はまだ2回あるのである。
3時から「経済学」を行い、
5時前には大学を出る。
JR「西宮」から「三宮」へ、
車中「予習の人」となって移動する。
神戸市勤労会館に突入し、
カツカレーをガツリと食べて、
「予習の人」を継続していく。
6時半から、兵庫学習協の
『覇権なき世界を求めて』講座である。
第4回の今日は、自民党や靖国派の改憲案をながめ、
戦後60年をこえる今日、
なぜ侵略に無反省、戦争のできる国へ、
生存権を基本的人権から格下げする、
そういう改憲案が政権党の側から出されてくるのか、
その戦後・現代日本の特異を考える。
世界変化の流れに照らせば、
明らかに、それは平和でも、経済でも、人権でも逆流。
ふりかえれば、サンフランシスコ講和条約以来、
アジアには侵略への無反省を重ねる歴史であった。
8時半ちょうどの終了となる。
授業のページに「経済学-SECによる監視を免れるファンド」をアップ。
いよいよカジノの世界に突入である。
12月2日は、8時前起床の朝であった。
あれこれ省略の時間をすごし、
特殊栄養ドリンクをクピリとあおって
外に出る。
JR「加島」から「京橋」へ、環状線で「玉造」へ、
地図を見ながら、あたりをウロウロ。
宣伝カーを見つけて、
「これにちがいない」とたどりつく。
今朝は大阪商工業団体連合会の
中堅事務職員研修会である。
夕方まで、びっちり研修とのことであった。
朝から、80人近くがキチンと集まる。
やはり、たいした組織である。
「金融危機の中の中小企業」と題し、
かけあしで70分ほどしゃべっていく。
「なぜ日本はアメリカいいなりなのでしょう」
若い方から質問がある。
「これほどアメリカは落ち目なのに」
言外にその思いがチラホラ見える。
そういう当たり前の目線をもたないところに、
日本の政治支配層の悲しい現実があるのですよ。
11時すぎには、外に出る。
JR「玉造」から「京橋」へ、「尼崎」へ、「西宮」へ、
12時からのゼミ面接時間に間に合っていく。
ところが、今日も時間に誰もこない。
はっと、配布済みの用紙を確認すると、
またしても時間を書き間違えている。
スケジュールを事務方に伝える時に、
こちらが、まちがってしまったということである。
悲しみにしょぼくれながら、
1人研究室でコンビニおにぎりを
パクついていく。
12月1日、午後1時から専攻ゼミの面接。
集団で1時間ほどしゃべっていく。
ゼミ紹介のためのパワポを活用。
韓国旅行から、仮装パーティまで、
多様なゼミの姿をてんこ盛り。
時間後にも、「私たち絶対に入れてください」
と粘る2人がいる。
「他のゼミはまったく考えていないので」。
そういう学生もいるわけである。
3時から「3年ゼミ」を行っていく。
軽食休憩をはさんで、
7時まで授業を行い、
あとの1時間を本づくりの相談とする。
韓国旅行のビデオを
文字に起こす作業は
だいぶん進んでいるらしい。
学生たちが話し合う横で、
来年度の文献ゼミ募集要綱や、
春休みの課題図書などを書いていく。
2つまとめて事務室にガッシン。
新たに講師依頼も入ってくるが、
1月の岩手は可能だろうか?
飛行機がとばねば、オシマイなんだが。
授業のページに「3年ゼミ-経済問題に話題が集中」をアップ。
「慰安婦」・歴史問題の学びとは、やはり求められる教養が異なる。
それを埋めていくのが、また大切である。
12月1日は、5時半起床の朝であった。
仕方なく、メールをカシャカシャやっていくが、
起き上がった新参の相手をして、
8時には再びへたっていく。
再起床は10時ちょうどとなっていった。
新参・相方は実家にもどり、
こちらはいつもの仕事にはいっていく。
11時半には、外に出る。
プラゴミなどを出して、
JR「加島」から「尼崎」へ、「西宮」へ、
12時前には研究室へ。
必要書類を打ち出して、
プロジェクターをつなげてジッと待つが、
学生たちが1人もこない。
今日は、来年度の専攻ゼミ面接の日であるはずなのに。
ついに石川ゼミ人気も急落か、
と思ったところで、
こちらが時間をまちがっていたことが判明。
12時からと思っていたのが、
学生たちには13時からとアナウンスしていた。
トホホな思いで、
3限目の授業に直前休講を出していく。
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