6月3日(木)は、10時起床の朝であった。
今朝も、深夜就寝、目ざましかけずのグデリ、デロリの朝とした。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
ただちに洗濯物を干していく。
今日は、キッパリとした晴れである。
パキッと乾いてくれそうだ。
宅急便で、おもちゃが届く。
新参誕生日のプレゼントとして、注文しておいたもの。
親がいうのもなんだが、
「(新参は)しあわせやヤツだなあ」と思う。
喘息もちなどの健康問題はあるが、
親に愛され、実家ご親族に愛され、
保育所で愛され、実家周辺のみなさんにも愛されている。
本来、子どもというのは、
こうしてたくさんの大人に愛されながら育つべきものだと思う。
もちろん、家庭の事情は様々である。
実際、こちらの子ども時代は、
きわめてエライ状況であったし、
また、上の子どもたちを育てる
わが環境も、今とは相当違ったものだった。
とはいえ、その「様々」がどのようであれ、
どの家庭、どの子のくらしについても、
底辺を政治がしっかり支えていかなければ。
憲法25条を引き合いに出すまでもなく、
そこには、国が責任をもちましょうというのが、
この国の本来のルールである。
だが、テレビのスイッチをひねってみると、
「総理は辞任しても、改革の方向はまちがっていなかった」(閣僚)
といった声が繰り返されている。
本当か?
鳩山政権は、保育の最低基準を実質的に引き下げ、
わずかな子ども手当てのために多くの家庭に増税を持ち込み、
障害者自立支援法廃止さえ延期にもちこんでいるではないか。、
そういう「改革の方向」は本当に、まちがっていないのか?
わが子育てのせまい体験からしても、
大人が子どもをしっかり愛するゆとりのもてる国づくり。
政治家には、そういうまともな人間社会づくりに
マジメに取り組んでほしいと、しみじみ思う。
いつまでも「政治とカネ」なんていう
醜いアホバカレベルの話しじゃなくてさ。
さて、荷物を受け取った後は、ひたすら「組合方面の人」となっていく。
昨日の執行委員会の確認にもとづき、
委員のみんなが一斉に動き出しており、
関係のメールが次々入る。
ワーキンググループの設置は進展しており、
上部団体への加盟についても可能性がひろがった。
他方で、組合総会に向けたあれこれも。
こちらは、「09年度活動の報告」と
「10年度の方針と要求」の下書きをザクザクと書き、
さらに、組合HPに掲載する「ミニ文章」も書いていく。
あれこれを、各方面にガッシンしたところで、
世間は、静かに、おやつの時間とあいなりました。
コメント