11月14日は、9時すぎ起床の朝であった。
すばやく動きまわり、
10時ちょうどには外に出る。
コンビニに寄って、JR「加島」から「尼崎」へ、「西宮」へ、
車中「南光町の人」となっての移動である。
10時35分から「故・高橋友子先生追悼礼拝」に参加する。
高橋先生は、こちらと誕生日が2日しか違わない同級生であった。
おまけに学生時代は同じキャンパスを歩いていた。
先生の労作『捨児たちのルネッサンス』は、
第23回マルコポーロ賞を受賞し、
イタリア語版も出版された。
ジェンダー研究会では、多くのことを教えていただいた。
また韓国の「慰安婦」問題に取り組むこちらのゼミ活動に共鳴され、
「ナヌムの家」へも行かれていた。
2年生の文献ゼミで「慰安婦」問題をとりあげられたこともあり、
本学にイ・オクソンハルモニを招く取り組みでは、
中心的な役割を果たしてくれた。
「極楽スキー」や「ハロウィン・パーティ」での愉快な遊び仲間でもあった。
天上のご冥福をお祈りしたい。
ソールチャペルを出たところで、
2年前の3年生「慰安婦」ゼミに参加してくださった
鄭先生とひさしぶりにお会いする。
「ベイビーはそっくりですね」「はんこですね」といわれる。
また、この春、定年退職された松田高志先生ともお話しする。
まわりに明るい力を振り分けてくださる方である。
チラリとUきひ先生の姿も見かける。
研究室にもどり、午後と夜の会議の資料を打ち出していく。
12時30分には、大学を出る。
JR「西宮」から「神戸」へ、
車中「大連立破綻の人」となっての移動である。
前を通った湊川神社は、何やらお祭りの様子であった。
大きな道路をへだてたこちら側からガシリと1枚。
ざるそばをズズズと食べて、
1時30分からの「憲法県政をつくる会」幹事会に参加。
兵庫県の「新行革案」のデタラメぶりを教えてもらう。
大企業誘致には天井知らずの補助金を出し、
それによって生まれる財源不足を福祉の切捨てで埋めようとする。
必要な公務員の数は、すでに全国最低レベルである。
県庁内部に「仕事に身が入らない」との空気がうまれている
というのも当然かと思える。
4時をすぎたところで、兵商連会館を出る。
JR「神戸」から「立花」へ、
車中「4町長の人」となっての移動である。
はじめてのクリニックで、先日の健康診断結果を
さらに突っ込んで見てもらう。
今日の限りでは、これといって問題なし。
JR「立花」から「京橋」へ、「天満」へ、
車中「4町長の人」となっての移動である。
6時30分の「天満」駅前で、S木さんと出くわし、
そのまま2人で、国労会館の大阪社会保障推進協議会へ。
7時からここで、「慰安婦」問題企画の実行委員会準備会である。
いつもの飲み会メンバーだけでなく、
何人かの初顔メンバーがあって新鮮である。
企画の基本的な性格をめぐり
あれやこれやのブレインストーミング。
急いで煮詰めるべきことが、まだたくさんある。
予定の9時にはキッパリ終わり、
全員で「京橋」の卒業生の店「山葵」へ移動。
参院選の候補者でもあったS藤さんは、にぎやかに、
若い弁護士N西さんは、いささかシャイに、
はじめてのこの店、この顔ぶれになじんでいった。
遠く神戸からかけつけていただいたU野さんは、
駅から店までの道筋を確認し、
大阪社保協新人のH川さんは、
酒に、食べ物に、社会問題にと、
何ごとにつけても意欲的な姿勢を示していた。
シンデレラ中年F田弁護士の就寝時間にあわせ、
11時ちょうどには店を出る。
「京橋」界隈で解散。
こちらはJR「京橋」から「加島」へ、
車中「道州制の人」となりつつ帰っていく。
12時前の帰宅であった。
ごぶさたしております。
私も先生のお子さんは、非常に先生に似ていらっしゃると思います・・・。うちのもうすぐ2歳児は嫁似で、なんとなく悔しい感じもします。最近は踊らなくなりました。
投稿情報: 福田 | 2007/11/19 12:13
いえいえ、大丈夫です。うちの新参は、まだ踊りだしてもいませんから。これで五分五分です。
投稿情報: walumono | 2007/11/19 21:52