岩井忠熊『近代天皇制のイデオロギー』(新日本出版社、1998年)を読み終える。
明治・大正・昭和の「近代」イデオロギーとしての天皇制が多面的に検討される。
勝手な読み込みもふくめて、以下のような諸点が印象に残る。
秀吉は朝廷から関白の称号を得ることによって、天下人としての地位の安定をねらうが、これは同時に、天皇制を歴史に再浮上させる役割を果たすものともなる。
つづく家康は朝廷秩序に組み込まれることを嫌いながら、しかし、朝廷の権威を活用していく姿勢をとる。
その後、大局的には幕府が朝廷をコントロールし、徳川将軍家や有力諸公と天皇家・公家には婚姻関係をつうじた人的もたれあいも形成される。
こうした相互依存が崩れるのは、幕末の「公武一体」論を突き崩した朝廷内のクーデター(倒幕派の勝利)によって。
王政復古を通じて、公家出身の岩倉具視が新政権の中枢に躍り出る。他方で、倒幕の軍事的イニシアチブをとった薩長出身の維新官僚がやはり政権中枢を構成し、これらが明治の新政権を整えていく。
軍神・神武に遡る新たに「近代的」な国家神道のイデオロギーが、「外敵」および国内の自由民権運動との対抗を契機に形成される。
明治天皇はこれら元勲・元老主導の政治の上で「大帝」としての評価を得るが、政務・統帥ともに実際の「親裁」者となり得るものではなかった。
しかし、一人歩きの一面をもつ「明治大帝」の強いイメージを念頭しながら、明治・大正に威勢を誇った元勲・元老なき後の国家権力を昭和天皇は率いんとする。
ここに「君側の奸」を撃つとする新国家主義イデオロギーの形成が重なり、より強固な実質的な権力者としての昭和天皇が実現される。
以上、とりあえずの理解として。
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