7月26日(日)は、7時起床の朝であった。
目ざまし2つで立ち上がり、
すばやくメールをカシャカシャ、
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
8時ちょうどには、外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、「西大路」へ、
阪急「西院」へ、ここで4年生2人と合流し、
衣笠の立命館大学へ。
すでにキャンパスは、ものすごい人。
今日は、日本母親大会の2日目である。
初日となる前日の参加は9000人であったらしい。
9時30分には、なつかしの以学館に入っていく。
われわれは「慰安婦」問題の分科会の助言者である。
パソコンをつなぐなどしているうちに、
たくさんの人が集まってくる。
10時ちょうどの開会であり、
すぐに、30分ほど、入門的な話をさせていただく。
会場の1/3の方が、
「『慰安婦』問題をほとんど知らない」
という方であった。
質疑、休憩の後、
11時すぎから、今度は、学生たちがしゃべっていく。
学びの体験、たくさんの人との出会い、
その場、その場で考えてきたこと等の紹介である。
「私たちのまわりには、こんな問題が」
「こんな取り組みが」と、
フロアーからの発言がつづいていく。
12時すぎから、1時半までは長い休憩時間となっていた。
キャンパスには全国各地の「物産展」が出ており、
それらのテントをながめる時間を
しっかりつくるということらしい。
あちこちをうろつきまわり、
憲法のO澤さん、仏大のS木さん、
弁護士のF山さん、自治労連のT中さん、
20年も前に保育所の
保護者会でいっしょだったAラさんと、
いろんな方に出くわし、お話をする。
書籍のサインセールにも加わって、
1時半からは、午後の議論に加わっていく。
問題解決に向けて、何を、どう
すすめていくのか、
といったあたりに話がグッと収斂していく。
長く国会議員として、この問題に取り組まれた、
そして、いまも、ちがった形で取り組まれている
吉川春子さんからも、ズッシリと重みのある
発言が行われる。
2時半には、「申し合わせ」の文章づくりに入る。
あれこれの意見がフロアーからつづき、
これをまとめる司会者も大変。
3時すぎには、無事、すべてが終了となる。
とても、充実した時間であった。
司会のお二人、会場係の方、記録を担当された方、
たくさんの力があってのことである。
みなさん、おつかれさまでした。
今日のために、四国から出てきた学生S川さんと、
風邪をおして加古川からやってきたT越さんは、
それぞれ、家路を急いでいった。
急に人影が減ったキャンパスを歩いていくと、
今度は、学生時代の先輩であるT止さんに出くわす。
そして、立命館大学「第3期民主化闘争」の状況なんぞを、
リアルにあれこれ教えていただく。
右側奥の建物前で、30年ほど前には、
毎日ハンドマイクをにぎって、アジッたものだ。
4時には、大学正門前に集合となる。
いつもの「慰安婦」仲間であり、
今日は、介護問題の助言者
を担当されたT内さん
いきつけの店への移動となる。
4時半には、にぎやかにビールで乾杯。
基地問題の助言者をされた原水禁のK本さん、
「物産展」のテントを担当されたU野さん、
セクマイの分科会に参加されていたO橋さん、
そして、書籍販売をされていたM尾さんも、
片づけが終わったところでかけつける。
「次は花火大会」「その日は長崎の大会なので」
「とある研究費で各地をまわった」
「函館はいいね」と、
話は多角的に展開していく。
8時前には、おひらきとして、
こちらはJR「京都」へ、「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「雑談の人」となって移動する。
途中、「尼崎」の駅構内の本屋に入るが、
残念ながら、これといった成果はなし。
9時30分の帰宅となる。
全般的呆然の夜をすごし、
いつもより早めにゴロリと倒れる。
本日の万歩計は、8137歩。
明日は、前期最後の3年ゼミ。
なお、わがデジカメには、
いつのまにか顔面変形写真が2枚入っていた。
4年生2人のイタズラである。
自業自得の写真だが、
今後の2人の希望ある人生を考慮して、
ここには、小さく、掲載しておく。
それにしても、まちがいなく、アホだと思う。
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