8月2日(月)は、8時半起床の朝であった。
もう少し眠りたかった。
寝たのが3時すぎであり、
イヤな予感の朝である。
フウセンカズラに水をやり、
洗濯物を取り込んで、
本日の人生を開始する。
まずは、当面のスケジュール確認。
目の前にあるのは、前期末試験の採点なのだが、
講演パワポの送信や、
遅れた原稿づくりもあって、
まだ、息がぬけない気分である。
採点の前に、とある文書をサクサクまとめ、
10時すぎには、送信する。さて、昨日の「しんぶん赤旗」に、
『若者よ マルクスを読もう』の書評が掲載された。
「政治的立場も意見も違う人間同士が、
愉快かつ礼儀正しく政治について対話ができ・・・」
というU田先生の例の文章がひかれている。
その点が、興味深かったと、
さっそく評者に連絡があったとも聞いている。
少し角度は違うのだが、
こちらはあるミニ原稿に、
『若マル』をこう紹介する文章を書いておいた。
「フランスの哲学者レヴィナスを師と仰ぐ
現代思想家・内田樹氏とマルクス主義者の私が、
往復書簡で若きマルクスを論じたものです。
この本には『対決』や『論争』の色合いはありません。
柱になるのは『面白がりの交換』です。
マルクス主義者にとっては当然ですが、
そうでない思想家にとってもマルクスはとても面白い。
だからマルクスは社会の誰にとっても教養となれる。
その『対話』の新しさを楽しんでください」。
当たり前のことだが、
マルクスを論ずることは、
マルクス主義者の専売特許などではない。
むしろ、そうであるあいだは、
社会に対するマルクスの影響は
小さなものにとどまらざるを得ない。
そこにどういう変化をつくっていくのか、
それをきちんと考えなくては。
ヨーロッパではマルクスが社会的教養
のひとつになっていると聞く。
共産党の影響力がほぼ皆無の西ヨーロッパで、
「社会的市場経済」が追求される現実は、
この教養とのかかわりで理解する必要が
おそらくある。
マルクスを細密に研究することと、
マルクスを社会的教養として広めていくこと。
事柄を前者に解消せず、
後者を独自の課題として認めること。
まずは、そこからはじめることが必要だろうか。
そんな実践的な課題意識をもっている。
昼は、ノリのお茶漬けをブブブブブ。
先生の文章中、「当たり前のことだが…」以降、「うん、うん、そぉなんだよねー。」とうなずきながら読みました。おーし、選挙の余波で夜は眠くて眠くて仕方ないのですが、ちゃんと学習する決意であります。
投稿情報: chikamiki | 2010/08/02 13:09