4月9日、4時20分には「金沢」を出る。
電車は、グイグイ、北東へ。
車中「発生論的方法の人」となり、
「新メガの人」となって移動する。
気がつけば、「直江津」である。
3月11日の夜、「大震災」のために
宿泊を余儀なくされた場所である。
思いおこされるのは、「楽しかったゴクラクスキー」であり、
「驚きの大震災」、「長野北部地震の体験」であった。
しかし、それでもわれわれには帰る家があり、
「被災地を後にする」体験をした場所。
そういえば、新参のクツをわすれた
野沢温泉の旅館には、
いまだに連絡をとっていない。
「状況が落ち着いてから」と思っていたが、
落ち着くのをまっているのは、
どうやら、わが心の動きであるらしい。
中央左手奥が、あの時、お世話になったホテルである。
複雑な気分で、ぼうと外をながめるうちに、
雪がどんどん分厚くなっていく。
さらに呆然と外をながめて、
そういえば、この線路を、こんなに北に向かって進むのは、
学生時代以来だなあと思い当たる。
あの頃は、京都から札幌に「帰る」わが交通手段は、
「急行きたぐに」と決まっていた。
夜11時頃に「京都」を出て、
翌日昼すぎに青函連絡船に乗り、
「札幌」着は、翌々日の朝だった。
そういう帰り方が、当時の経済事情には
もっともマッチしていたし、
あの頃には、それを苦としない「若さ」があったというわけだ。
そんなことを思ううちに、
7時前には、「越後湯沢」に到着となる。
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