6月24日(金)は、9時起床の朝であった。
青汁豆乳クピリ、コーヒーカプリで、
ただちに「復興原稿の人」となっていく。
11時前には、外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、「西宮」へ、大学へ、
車中「授業準備の人」となって移動する。
11時すぎには、事務室で、
Y田先生と打ち合わせ。
つづいて、11時半から「文献ゼミ」。
終了後、昼休みには
キャリアデザインプログラムの説明会で、
「おもしろいぞ~」
「でも、勝手にやめるなよ~」と、
なんだか、矛盾した話しを
2年生たちにふっかけていく。
1時半には、研究室にもどって、
サンドイッチをパクパクパク。
来月の研究会の会場をとり、
メールを多角的にカシャカシャカシャ。
憲法県政の会、コース会議、ゴクラク宴会、
「慰安婦」問題、研究会日程、原稿など。
そして、「復興原稿の人」となっていく。
パチポチ、パチポチ、カシャカシャ、カシャカシャ。
5時をまわったところで、
とりあえず、第2章までをガッシンする。
う~む、書いていくほどに長くなる(当たり前だわな)。
これも、時間との勝負となっていく。
5時半から、組合の団体交渉である。
若手主導の現執行部が、
グイグイと議論をリードする。
大阪私大教連からの支援もありがたい。
移動時間の超過勤務手当ての件、
大学院超過担当手当ての件、
入学者募集の方針と労働条件など、
あれこれの議論が進んでいく。
T中委員長を先頭とした執行部の力強さが、
フロアーからも発言を引き出していく。
結果として、いくつかの「成果」があがる。
双方に「全面対決を避ける」
姿勢があったことが重要だった。
席を蹴ることは簡単だが、
そうした安易な手法に訴えず、
キチンと、道理を通した話しが進む。
小さな職場であるだけに、こうして
全構成員の力が無駄なく
発揮される環境を整えることが大切である。
10時をすぎての終了となる。
研究室にもどって、メールをカシャカシャ。
そして、10時半には山をおりる。
5人ほどで、そのまま、いつもの居酒屋へ。
プハーッとビールをやっていく。
11時半には、「終電がない」
と気づいたK林先生が帰っていく。
それでも、飲み続けたアホウは4人。
結局、1時前になって店を出る。
阪急「門戸厄神」でまずは解散。
そして阪急「西宮北口」で第二次解散。
帰る手段はタクシーのみ。
運転手さんとおしゃべりをする。
「このあいだまでミキサーに乗っていた」。
そして、話しは原発へ。
「浜岡原発にもコンクリをはこんだ」
「あそこのコンクリは高性能だ」
「でも、爆発したらおしまいだ」
「被災した人たちは気の毒だ」。
まったく、もってそのとおり。
1時半になっての帰宅となる。
さあて、さっさと、寝ないとなあ。
明日は、朝から新参人生となっていく。
そして、遅ればせながらの誕生祝いの1日となる。
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