6月13日(土)は、8時半起床の朝であった。
野菜ジュースとコーヒーで、
本日の人生を立ち上げる。
ネット情報を、カシャカシャカシャ。
メールに、時間をとられていく。
適当ゴハンを、パクパク食べて、
11時半には、外に出る。
JR「西宮」から「尼崎」へ、「京橋」へ、
「森ノ宮」で間違えて、改札を出る。
再びもどって、「森ノ宮」から「玉造」へ。
車中「新かじり方ゲラの人」となっての移動であった。
今日は、科目「プロジェクト(戦争と平和を考える)」
のフィールドワーク第2弾。
まずは、旧真田山陸軍墓地の見学から。
1871年につくられた、日本陸軍最初の墓地であり、
規模が大きく、当時の墓碑の相当数が
戦時のままの姿で残る、珍しい場所。
墓碑の痛みがはげしいので、
国に保存を求める取り組みが行われている。
小田先生のお話をうかがった後、
虫よけスプレーを、たっぷり吹きつけて、
墓地の見学に入っていく。
1931年、ドイツの領事と第4師団長の同意によって、
「俘虜」の文字が、埋められた、
第一次大戦時のドイツ兵捕虜の墓石が2つ。
西南戦争にかかわって、大阪で亡くなった
全国各地の兵士の墓。
鹿児島も、北海道も。
「せいへい」と読む。
徴兵後、半年間の訓練期間にあった
「見習い」兵士のこと。
死因の少なくない部分が、
白米ばかりを食べることによるビタミンB1不足。
「脚気」であった。
日露戦争後の階級別合葬墓碑。
もっとも死者の多い「兵士」のものが、
もっとも小さくつくられている(右から4つ目)。
この墓地における最古の墓碑。
1870年に亡くなった、長州藩出身の兵学寮生徒。
ご案内は、小田さんとともに、
保存会副理事長の吉岡さんにもお願いした。
今年も、ありがとうございました。
3時半には、墓地を後にする。
サクサク歩いて15分。
リニューアルなった、「ピースおおさか」の見学である。
戦争の経過、全体像を描こうとしたものは、
入口からすぐの映像のみ。
ゾーンのテーマは「世界中が戦争していた時代」。
日本も世界と同じことをしただけだ、
そう読むことのできるタイトルである。
この映像でも、他の年表でも、
1937年の「通州事件」があえて紹介されている。
日本の侵略と植民地支配に関する展示は、まったくなく、
侵略を受けた人々の紹介も、ひとつもない。
こちらは、防空壕の「怖さ」を体験するコーナー。
空襲による大阪の悲惨は、よく描かれている。
しかし、なぜそういう結末にいたったのか、
そもそも、誰が、何の目的で開始した戦争だったのか。
そこの評価や経過は、学べない。
現在と未来を考えるコーナーにも、
「戦争と平和」を考える切実さに欠ける。
そういう声が聞かれていた。
「空襲による被害を学ぶ」という限りでの学習対象か。
5時ちょうどには、解散となる。
JR「森之宮」から「京橋」へ、「尼崎」へ、「西宮」へ、
車中「新かじり方ゲラの人」となって移動する。
「西宮」のホーム、待合室で、
キリのいいところまで、カリカリカリと。
6時、ちょいとすぎの帰宅であった。
熱の下がった妹新参と、グダグダ遊び、
7時からは、スイミングからもどった
兄新参をふくめ、一族そろっての夕食となる。
食後も、グダグダ、ゴロゴロリ。
9時前には、布団に入り、
新参ズと、YOUTUBEをながめていく。
こちらは、10時すぎの布団脱出。
メールは、講演関係のみ。
大阪と帯広は、直行便がなくなったのか?
明日は、終日、新参ズとの時間となっていく。
すきをついての「ゲラなおし」が、
どれほどできるものだろう。
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