以下は、府中町(広島県)の町議選に立候補している
一部修正しました。
みなさんからの応援も、
ぜひとも、よろしくお願いします。
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◇いつか笑える日がくるさ
二見さんとは15年来の友人です。
はじめて会ったのは、広島で行われた「はたらく女性の集い」(タイトルはちがったかも)で講演をさせてもらった後の、懇親会の席だったように思います。
あの頃も、やはりからだは丸かったけど、それを無理やり折り曲げて、座布団に正座して待ってくれていたのをぼんやり覚えています。
二見さんは、広島県労働者学習協議会事務局長で、ぼくが40すぎ、二見さんが30台半ばと、お互いまだ髪は真っ黒な頃でした。
その後、二見さんのお眼鏡にかなってか、何度か広島での講演に招いていただき、そのたびに飲んで、しゃべって、ああこの人は見かけによらず理論肌なんだなとか(失礼)、見かけによらず繊細なんだなとか(失礼)、勝手にいろんな発見をしていたものでした。
しかし、互いの距離が縮まったのは、むしろ、二見さんの生活が、病気で崩れてしまってからのことでしたよね。活躍の場を東京の労働者教育協会にうつしてから、二見さんは体をこわしてしまいました。
ぼくは、そのことを、しばらく知らずにいましたが、あれは松竹さん(現かもがわ出版編集長)でしたか、「はげましの会をしよう」とそんな事情を伝えてくれたのです。
それがきっかけで、ぼくの仕事が広島であったり、広島で途中下車ができる時には、そこで飲んだり、しゃべったり。二見さんが関西に来たり、関西によることができる時には、西宮や神戸で飲んだり、しゃべったり。そんな不定期の二人飲みがはじまりました。
これといった用事はないけれど、飲んで、しゃべって、いっしょにいて、と。多分、仕事や家庭、健康や気持など、ちょっと重たい話ばかりをサカナにして、年に一度くらいの割合で。
2年前には、ゼミの学生の広島学習ツアーをセットしてもらったこともありました。その話は、ゼミ編『21歳が見たフクシマとヒロシマ』(新日本出版社)に書きました。
二人飲みの会に、転機が訪れたのは、今年(2016年)2月のことでした。福岡からの帰りに途中下車した広島に、二見さんは大きな2つの「報告」をもって待っていました。ひとつはプライベートでの大変化、そして、もう一つが府中町の町議会議員選挙に挑戦するというお話でした。
その日の飲み会は終始明るく、二見さんの人生が、ひさしぶりに前に大きく転がるようで、ぼくにも嬉しい時間となりました。
もちろん、苦労はまだまだあるでしょう。しかし「ふふふの家族」や「ふふふの仲間」の力もしっかり借りて、さらに前に、希望をもって進んでほしいと思います。
府中町のみなさん
二見伸吾は、あれこれ口が達者なだけ、理屈が達者なだけという、うわっつらだけの人間ではありません。
いろんな苦労や痛みを、自分のからだで味わってきた人間です。まじめで、人のつらさや苦労がわかる人間です。
「町のため」ではなく、町にくらす一人ひとりの「あなたのため」に、親身になってはたらくことのできる人間です。
議会で、大いにはたらかせてやってください。
ご支援を、よろしくお願いします。
二見さん、今後とも楽しい飲みをつづけていきましょう。
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