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待ちに待った2008年極楽スキーは、
3月10日(月)から13日(木)の日程で
いかにもにぎやかに開催された。
〔3月10日(月)〕
まずは、「大阪」駅に集合である。
9時42分JR「大阪」発
サンダーバード11号での移動開始となっていく。
M杉・M浦・U田・Y本先生という常連さんに加え、
今年はS藤先生が初顔としての彩りをそえる。
こちらは、8時54分に「座談会ゲラ」をメールで放り込み、
超特急移動の相も変わらぬすべりこみであった。
電車はゴトゴトと動き出し、
JR「京都」から、U野・I田先生と、
A子・C男が乗り込んでくる。
今年は総勢10名である。
この数年では最大の極楽勢力といって良い。
忙しくキーボードを叩く人、
論文や新聞を読む人、
ただただしゃべりつづける人と、
早くも各人各様の人格模様を
はげしく車内に展開しつつ、
12時すぎには「金沢」到着となっていく。
ただちに、全員で恒例の「近江町市場」に突進する。
そして「廻る市場寿司」に直行である。
この時期の北陸のサカナはうまいに決まっている。
おまけにここは市場の中だ。
熱燗、冷や酒などの注文がとび、
モグモグ、ワシワシ、クイクイ、
あ~ウメエ、ウメエ、極楽、極楽と食べていく。
こちらは、わが一族3人分の寿司皿タワー。
全員、ずっしり重い胃袋をかかえて店を出る。
いやはや、まんぷく、まんぷく、
じつにこれは、そのなんというか
人生タハッてなもんですなあ
などと、いつもどおりアホなことをいいつつ、
市場の中をブラついていく。
A子が、さっそくカニを京都に送っている。
店の大将とA子のやりとりを聞いていると、
あらかじめの値札はまったくただの飾りである。
う~ん、高いなあ、う~んと渋ると、
どんどん値段が下がっていく。
とはいえ、それでも、商売は成り立つようにできている。
1時半すぎには、再び「金沢」から北へと向かう。
「世界の車窓」ならぬ「北陸の車窓」には
酒とつまみが良くにあう。
シンと凪いだ日本海をながめるうちに、
次第に、外の雪が深くなる。
3時半には「直江津」に到着。
ここからは、ジャンボタクシー2台で移動。
大人数の場合には、
これがもっともコストパフォーマンスが高くなる。
5時ちょうどには、ようやく、
毎年お世話になっている「旅館さかや」に到着である。
事前に届けておいた荷物を確かめ、
ただちに温泉に沈み込む。
ア~、ウッ、クッ、クッ、クッ、プハ~、
いや~、極楽ですなあ~。
各自、それぞれなりに喜悦の声を発し
それに似つかわしく顔面の筋肉をゆるめていく。
6時半から夕食である。
生ビールで乾杯ののち、
地酒「水尾」をかたむけて、
これはなんだ、こちらはなんだと、
お品書きを確かめながら、
心のこもった料理をいただく。
そして、ガハハハ、
キャハハハと笑っていく。
8時半には、部屋にもどり、
ここでも、酒を片手にテンションを高める。
だが、夜10時の鐘が鳴ると、
節度をもって、楽しき宴もおひらきとなる。
毎年確実に高齢化の度を深めているが、
この歳になって、ようやく
「明日にそなえて」という知恵が
ついてきたらしい。
いささか遅きに失した感もあるが。
部屋から見た旅館の中庭の景色である。
暗い空には、オリオン座や冬の大三角形が
クッキリと白く浮かび上がっていた。
〔3月11日(火)〕
3月11日は、7時30分起床の朝であった。
ただちに温泉につかりこみ、
ウ~ム、ブクブクなど、
やはり各自勝手に悦楽のときをすごし、
8時00ちょうどの食事とする。
あ~、うまい、どうしてこんなに食ってしまうのか
などとつぶやきながら、
全員、ブロイラー化の道に入っていく。
スキーをかついで、9時30分には入口集合。
ちょいと歩いて、ゲレンデまでの「遊歩道」に乗り、
ゴンドラやリフトをつかって、山の上へとあがっていく。
快晴である。
山の麓にはガスがかかっていたが、
上にあがると、空は青く、
遠くの山もキレイに見える。
これが「日頃の行い」の成果というものであろうか。
気温も、雪が溶けない程度のあたたかさである。
寒さを感じることはまったくない。
おとっつぁん、おっかさんは、
みな2本足のスキーを装着。
これに対して、いまごろの若者A子とC男は
やはりボードをはめていく。
パラダイスゲレンデのリフト乗り場につくられていた
大きな虎(たぶん)。
高さ2mほどの大物である。
もうひとつリフトをあがった
上ノ平のゲレンデである。
こちらは、平坦で距離が長いのが特徴となる。
さらにひとつ、脇にそれてリフトをあがると、
乗り場には、こんな雪像が飾ってあった。
あれこれと心配りのあるゲレンデである。
う~む、スゴイ、
う~む、キレイだ、
う~む、どうしたもんだと、
こちは「全般的う~むの人」となっていく。
12時ちょうどには、「どんぶりハウス」に集合となる。
昼食はこの店と、毎年決まっているのである。
脱ブロイラーをめざし、
ここは味噌ラーメンに抑えてみる。
店のマスターにシャッターを切ってもらい、
「どんぶりハウス」前で記念の一枚。
まだ足にも疲れがなく、
誰もがゆとりの表情である。
グイグイとリフトを乗り継ぎ、
頂上のやまびこゲレンデにあがってみる。
人が少なく、春スキーとしては雪質もマズマズ、
おまけに天気良好といいことづくめ。
われわれの精神の極楽度は、
またしてもグイグイとあがっていく。
3時には、これまたいつもの「パスタ・ディ・パスタ」に集合し、
お茶の時間を楽しんでいく。
ケーキやパイもかじってみる。
パラダイスを滑り、4時にはゴンドラで下界におりる。
そして、時間一杯をむかえるまで、
日影のゲレンデで滑っていく。
ところが、ここで、
今極楽唯一の転倒を、
はげしくぶちかますことになる。
ハイスピードでの体操選手なみの
前方2回転であったらしい(目撃者談)。
しかし、さいわいなことに、
打ち身ひとつない、まったくの極楽能天気な結果となった。
今年はじめて着用したヘルメットが、
大きな役割を果たしてくれたようである。
ヘルメット万歳。
5時には、ゲレンデをおり、
温泉街で酒を買う。
そして、風呂でブクブク、
6時半には、A子とC男をのぞき、
総員酒飲みブロイラー道を進んでいく。
ある教員が、
「旅館さかや」のスリッパをリッュクにつめ、
ゲレンデでの守り神としていることが披露される。
チームの高齢化にともない、
そろそろ問題行動も出てきているらしい。
互いを温かい目で見ていくことが大切である。
ふともも、ふくらはぎにエアーサロンパスをかけまくり、
夜の宴を継続するが、
この日も10時すぎの終了となる。
夕べにつづき、実に早めの就寝だが、
これも、ひょっとすると、
単なる老化のためかも知れない。
〔3月12日(水)〕
7時30分起床の朝であった。
温泉から朝食へ、9時集合のスキーへと、
流れるように極楽はつづく。
旅館前にあった同祖神との記念写真。
この神は、信楽のたぬきと共存しているらしい。
なかなかに度量の大きな神である。
今朝も、グイグイと山を登る。
遠くに見えるのは妙高山であるらしい。
あの、空の線はなんですか?
「あれは、逆転層というもので……」。
何でも知っているM浦先生が教えてくれる。
そういえば、同じ質問を数年前にもした気がする。
これも老化のあらわれか。
この日は、山の尾根にそって5キロも滑る
スカイラインを降りてみる。
左右には、いつもとちがった景色がひろがる。
途中、急斜面で動けなくなったボーダーがおり、
パトロールに緊急の連絡もすることになる。
12時ちょうど、今日も「どんぶりハウス」に集合である。
今日は、醤油ラーメンを食べてみる。
朝「ややブロイラー化」、昼「脱ブロイラー化」、
夜「圧倒的ハチャメチャブロイラー化」の日々である。
午後は、パラダイスのゲレンデでノンビリすごす。
こうも人が少ないと、
まったく申し訳ない、申し訳ないといった気分になる。
この日は、前方2回転というハデな技もなく、
無事に、5時には下山する。
ちょうど降りたところの土産屋で、
A子・C男と、野沢菜おやき、温泉饅頭各1ケを
三等分にして食べていく。
そして、温泉プクプクののち、
圧倒的怒濤のブロイラー化の夜を迎えていく。
毎夜の食事は、こんな場所でのことであった。
生ビールと日本酒と、
数々の料理の人生である。
そして、時計が8時半をすぎていくと、
部屋で、ワインがあけられ、
M浦先生から、干したイチジクにクルミをつめたものが配給される。
エアーサロンパスの香りをおともに、
この夜も10時半には、グデリと眠る。
〔3月13日(水)〕
3月13日も、7時半起床の朝であった。
ただし、さすがにカラダがズシリと重い。
疲れがたまってきているらしい。
それでも、温泉から、朝食へとズルズル動き、
荷物をまとめて、9時30分の集合である。
旅館前での記念写真。
だが、鳩ぐるまの横に、
ひっくりかえっている人影がある。
「さかや」のスリッパの神通力は、
ここではまったく通じなかったということらしい。
これがゲレンデに向かう「遊歩道」の中である。
各自、準備運動に余念がない。
ここがスキー場全体の入口であり、
わが前方2回転の日影ゲレンデというところ。
グイグイとゴンドラであがり、
ズンズンとリフトであがって、
今年最後のやまびこゲレンデへ。
やまびこ最終版の急斜面を、
目に涙をうかべてながめてみる(ウソ)。
11時半には、パラダイスゲレンデに集合である。
ずっと練習をつづけたA子とC男は、
若いだけあって、なかなかに上達が急である。
そんな若者の技術的向上とは無関係に、
オトッツァン、オッカサン集団は、
連結ムカデウジャウジャ滑りに挑戦する。
スキーヤー7人がムカデをつくり、
ボーダー2人が両方の触覚をつくるとの計画である。
しかし、現実は、そう思うようにはなかなかならない。
運転手はキミだ、
カメラマンはボクだ、
あ~との8~人~は、
うるさいだけの極楽人間。
高音、低音の全員のワーキャー声は
ゲレンデ中に響きわたり、
そこらへんにへたりこむ若者ボーダーたちも、
驚きの表情でこれを見つめていた。
ちっ、オジ、オバをなめるんじゃないの気分である。
12時30分には、スキー場を去ることになる。
いちばんの入り口には、このようなキッズコーナーがあるが、
遠からず新参登場ということも、
あるのかも知れない。
旅館にもどり、温泉クプププの時間をとり、
宅急便郵送の準備を終えて、
2時30分には、いつものそば屋へ足を向ける。
まずは、うまい塩をあてに、
枡酒である。
この枡の香りが、なんともいえないのである。
そして、この日の遅くなった昼食は、
キリリと冷えた大ざるである。
何枚でも食べられそうな、うまさである。
最後は、そば湯でしめくくる。
「どんな注文があっても、ざる最優先」
というのが、
この店の歴代店主のこだわりらしい。
野沢温泉街をブ~ラブ~ラ歩き、
再び、旅館にもどっていく。
お世話になったみなさんに挨拶し、
ジャンボタクシー2台に乗り込んでいく。
さらば、雪よ、
さらば、温泉よ
さらば、野沢の街よ。
とかなんとかいいながら、
ジャンボタクシーで、グーグー眠る。
4時50分にはJR「直江津」に到着である。
ちょいとお茶をして、
5時20分には、駅のホームに入り込む。
ここで、2つの弁当屋から、
頼んでおいた駅弁を受け取る。
金沢の寿司屋確保と、
ここでの駅弁確保は、
極楽飯隊長S木さんにお世話になった。
ご本人の急遽欠席はまったく残念なことであったが、
心よりの感謝の気持ちを、
野沢の地酒でお届けしたい。
ありがとうございました。
多種多様な弁当模様であったが、
わが一族は「謙信公お立ち飯」で統一する。
つつみには川中島合戦の年表が
刷り込まれていた。
7時30分には、「金沢」で電車を乗り換え、
10時には「京都」、10時半には「大阪」到着となる。
大阪が近くなるにつれ、
フランス現代思想史におけるカミュの地位、
イージス艦衝突問題、京都市長選、
競争主義の文部科学行政と「構造改革」のゆきづまり、
マルクスの推論の冴えなどと、
しゃべりの話題が急速に学者方面化してくるから不思議である。
脱極楽の体内装置がはたらくらしい。
これにて、2008年の極楽スキーは
全日程とも無事終了。
あとは、来年を待つのみである。
旧HPからの移転。
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「極楽スキー」2006
2006年3月7日(火)~10日(金)……2006年度「極楽スキー」大成功となる!
〔7日(火)〕……金沢経由で野沢温泉,食って,飲んで,笑って,風呂へ。
4時就寝,7時半起床の朝であった。
この短時間睡眠はキビシイが,
しかし,今日は滑るわけではない。
移動と宴会だけの1日である。
メールをチェックし,夕べの「紳助」をビデオで再生しながら,
ジュースを飲んで,シャワーをあびる。
8時30分にはパソコン片手に外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ,「大阪」へ。
金沢行きのホームにあがると,すでに5人のメンバーがおり,
9時12分発,金沢行きの「雷鳥」に予定の7人全員が乗り込んでいく。
「風邪ひき」の情報があったIT寿司鬼太郎も,無事参加。
9時40分には「京都」から,U野先生が乗り込み,
今年の8人のメンバー全集の合流である。
ワイワイとにぎやかにしゃべっていくが,
10時半ころから,一斉に車内が「仕事モード」に変態する。
執筆,電話連絡,読書,新聞,学内情勢論議など。
そのあいだにも快晴の青い空の下,
わが「雷鳥」は北へ,東へと,突き進む。
12時ちょうどには「金沢」駅に到着。
ただちに「近江町市場」に移動である。
途中「カニ買え」といわれながら,市場の中を歩き,
予約済みの「廻る近江町市場寿司」へ直行する。
一挙に30分ほどの「ああ,うまい」人生8人分が展開される。
「まずはビールを」「ワタシは熱燗を」「こちらは冷やで」
そういいながら,早くも手は,目の前の皿にのび,
食べるはしから,次を注文していく。
「これが白エビか」「たこもいかもうまいぞ」
「トロが」「えんがわが」「かに汁が」……。
関西にはちょっと見当たらない,まったくもって見事な寿司である。
大量の皿を山積みにして,12時50分には店を出る。
満腹かつ,早くもご陽気な脳味噌状態である。
春のあたたかい風をあび,みんなで駅へと歩いてもどる。
1時18分,あらためて「金沢」からの出発である。
さっそく「鮭とばをしがみながら『久米島の久米仙』を飲む人」となる。
なにやら原稿を送信し終えたU田先生も,
「久米仙の人」に変態していく。
電車は走るが,どこまでいっても天気がいい。
途中,どこそこで「なだれがあるので,バスで代行運転をしている」とのアナウンスがある。
「そんなに暖かいのか」「山の雪は大丈夫か」。
だんだん,そんな心配も生まれてくる。
3時をすぎたところで「直江津」に到着。
改札を出ると,お願いしておいたジャンボタクシーの運転手さんが待ち構えている。
人なつっこく,良くしゃべる運転手さんとともに移動し,
4時30分には終着点の「野沢温泉」に到着する。
旅館はいつもの「さかや」である。
もう13年連続のようである。
お茶を飲んで一息ついて,宅急便で届けてあったスキーや靴を確認していく。
つづいて5人ほどで,夜の宴会の酒類の買い出しである。
日本酒,焼酎,ワイン,かわきもの,チーズ,飲むグルトなど。
「少ないかな」「これくらいは飲むよね」「おそらく足りない」……。
ワイワイやりながら,買い物かごはふくらんでいく。
ドップリと風呂につかり,
サウナの熱気のなかで歯を磨き,
熱気のハナ刺激にやられて,4つほどくしゃみもぶちまけてみる。
暗くなった空には半月がうかび,
あがっていく湯気の向こうに,露天風呂からながめていく。
湯上がりの恒例であった,ビール「YONAYONAエール」が今年はない。
ガックリと首を落としながら,目の前にあった血圧計に腕をとおす。
ドクターS藤から「あれ,低いですね」の評価をいただく。
どうも年中「やや高め」というわけではないらしい。
温泉による血管拡張効果であろうか。
6時半から夕食である。
8名中5名がそろったところで「宴会定足数」は満たされたと判断が下り,
ただちにビールの栓がぬかれていく。
ここのメシは,どれもこれもがよくできている。
さめの皮のおろしで生わさびをすり,
しばし「生わさびのすりおろし技法」にも議論の華を咲かせていく。
すべてをたいらげ,ビールを飲み,日本酒を飲み,
「短期体重一挙集団増加」の危機にはまる。
8時すぎには部屋にもどり,間をおいて,
極楽初日の深々とした宴会に入っていく。
この夜の主たるテーマは「冬ソナ」であった。
何やら「冬ソナ」論議をノートに残す人もいる。
こちらには無縁のテーマであるが,
楽しく聞いて,にごり酒を飲み,そば焼酎を飲み,
京都の和菓子「おたべ」のように,チーズをペーパー状のたらでつつんだつまみを,
モグリモグリと食べていく。
終了は,11時すぎである。
遅すぎない終了時刻に,「明日は滑るぞ」の意欲と,
「休まねばあぶない」というわが高齢化進行集団の人生の慎重さがあらわれている。
〔8日(水)〕……濃霧に負けずはげしくすべる,ラーメン,おやき,筋肉痛。
12時前就寝,5時目覚め,6時たちあがりの朝となった。
気がつけば,U野先生が,すでに風呂に向かっている。
後を追うように,部屋を出る。
ジックリと湯につかって,汗を流し,
冷たい水を飲んで,新聞を読む。
「信濃毎日新聞」に,「ナヌムの家」のイ・オクソン・ハルモニのインタビューがある。
世間には,こんなに大きく「慰安婦」問題をとりあげる新聞もあるのであった。
8時から,みんなで集まって朝食をとる。
麦とろメシが今年もうまい。
温泉たまごに,タコの酢漬け,サラダ,小鍋,グレープフルーツ……。
朝晩のメシを,ここでガマンすることは,誰にも不可能なことである。
着替えをすませて,戦闘態勢に入り,
フロントでリフト券を買っていく。
「今日は水曜日なので1日タダ券がもらえます」。
まったくもって,ありがたい。
これも日頃の行いの結果と,いい方に,いい方に,解釈を重ねていく。
9時すぎには,スキーをかついで「さかや」を出発。
階段と動くななめ歩道をすすんで,ゲレンデ方面へ向かっていく。
あがってみると,どっこい,山の上半分は濃霧である。
一番下の2~3のゲレンデ以外は閉鎖であった。
仕方なく,初心者コースの「日陰ゲレンデ」を2~3本滑り,
あとはいきなり,かなりの角度のコブコブ斜面に挑んでいく。
これがなかなかコワイ。
どうしても腰が引けて,カラダが横を向いてしまう。
「うへ~」「こえ~」とズルズル滑っているうちに,山の霧が次第に晴れてくる。
ゴンドラが動き出したところで,
「ありがたや,ありがたや」と全員で山をあがっていく。
「パラダイス・ゲレンデ」で,ようやく自由にノビノビすべる。
何度もすべるうちに,12時ちょうどの昼食となる。
いつもの「ドンブリハウス・コンドル」に集合である。
昼は,おとなしく味噌ラーメンをすすってみる。
山の頂上の「やまびこゲレンデ」は,午後も濃霧でダメである。
それでも,少しずつ霧は晴れているようで,
山の尾根を走る「スカイライン」の閉鎖がとけている。
エッサ,エッサと山をのぼり,5キロもつづく「スカイライン」をかけおりる。
本当なら,まわりの景色がすばらしいが,それは明日のお楽しみ。
ふたたび「パラダイス」にもどり,
3時には,いつもの「パスタ・デ・パスタ」に集合である。
休憩と糖分補給の時間である。
こちらは,ココアでカラダをあたためる。
驚いたことにI田先生が,去年のこの店のサービス券を2枚ももっている。
スキーウエアから出てきたらしい。
「350円以下の商品が無料」とのことであり,
ホットミルク人2人が恩恵に浴する。
おしゃべりのなか,「ぜんざい五郎の黒い巨塔」が話題となる。
別行動のある先生が,秘密裡に「ぜんざい」を食べていたという疑惑である。
当人が強く否定するほど,疑惑はますます深まっていく。
再びパラダイスを滑り,夕方には,チャレンジコースをおりていく。
下におりるほど,あたたかさで雪が重い。
最後は,「日陰ゲレンテ」でシメとする。
日陰のリフトの上から,「1日タダ券」を落としてしまい,
あわてて滑って取りにいく。
4時30分,ゲレンデ横の店に,板をあずけて山をおりる。
これで明日からは,板をはこぶ必要がない。
預け料金は,わずか100円。
鬼太郎がふろしき包みからクツを出し,ブーツまでもあずけていく。
鬼太郎の風呂敷偏愛者が判明する。
ガシャリ,ガシャリと下界にもどり,こちらはそのまま「土産屋」に突撃。
宅急便で土産を送り,「野沢菜のおやき」を1つ立ち食い。
1ケ150円だが,アツアツのこれがまったくもってウマイのである。
宿の露天風呂にゆっくりつかり,サウナもしっかり5分間。
部屋にもどり,今日も「フライング」のビールをあける。
6時30分から夕食である。
手の込んだ品物ばかりが,つづけて出てくる。
生ビールからのスタートである。
「ガン告知」「マンボウの解体」「ムール貝の汚染」
「ヤクって知ってるか」「横浜でおつとめしたかった」「大内山」と話題はすすみ,
メインは,Y本先生の子どものころの「尼崎」での生活となる。
高倉健と「ウエスト・サイド・ストーリー」のファンだという,
夕べの話しの謎がとける。
人には歴史があるものである。
8時30分には夕食終了。
30分ほど,しっかりとマッサージチェアで,全身の筋肉をもみほぐす。
太ももと,足の裏が疲れている。
部屋にもどると,すでに2人ほどが爆睡状態。
昨夜のような大宴会はなしとする。
しかし,ミニ宴会は12時前まで。
やはり飲まずにいられない人種というのはいるのである。
〔9日(木)〕……快晴,絶景の山なみ,駆け下りるゲレンデ,名残惜しい宴会。
12時就寝,7時起床の朝であった。
グッと眠って,パチッと目覚める。
お湯と疲れとノンストレス生活の偉大な成果であろう。
まわりの4人がすでに起きていることにも気づかなかった。
目ざましとなったのは,Y本先生の「大きな古時計」のケータイ着メロ。
風呂に入り,露天風呂から空を見上げ,
見事な青さに,急に元気がわいてくる。
8時からの朝食がウマイ。
朝から「ハラがへっている」という実感がある。
9時ちょうどの出発である。
天気は良く,山頂の気温は低い。
これは最高の条件である。
ウキウキしながら「さかや」を出る。
昨日はあがれなかった,山頂の「やまびこゲレンデ」へ一直線。
「早くすべりたい」と気がせいている。
そして,すべってみると,山全体がはしゃいでいた。
まわりに見える山々が,おそろしいほどキレイである。
何本か「やまびこゲレンデ」を滑っていく。
残念ながら「ボーダー禁止」の看板はなくなったが,
どこにでも座り込む「ヘタリボーダー」はグッと少ない。
斜面はつねに人が流れる場となっており,「障害物(人)」はないのである。
何本か「やまびこ」をすべったあと,今日も「スカイライン」にむかってみる。
幅の狭い山の尾根を,上から下へと滑りおりる。
ここでの楽しさは,ゲレンデに人が少ないこと,
すべる距離が長いこと,いつでも見晴らしがおそろしく良いこと,
そして少なくとも今日は雪質が良いこと。
12時ちょうどには,いつもの「ドンブリ・ハウス」に集合である。
今日は,チャーシューメンを食べてみる。
天気がいいので汗が出る。
さらに疲れが糖分を欲している。
ドリンク・バーでコーラを2杯。
店を出たところで,雪に寝ころがって青空を見る。
つめたい雪が,ほてったカラダに心地いい。
午後もまた「スカイライン」へ。
天気が良すぎて,山の下から雪が重くなる。
しかし,景色の見事は変わらない。
「気持ちいい」「気持ちいい」と誰もが連発。
3時には,「パスタ・デ・パスタ」で「おやつ」である。
今日は,イタリアン・ジェラートをパクパクパクリ。
明日の昼食の予約をすませて,また滑る。
4時40分には山をくだり,今日もスキーをあずけて下界にもどる。
まったくもって満足である。
帰る途中,Y本先生とともに「野沢菜おやき」を立ち食いする。
これがやはりうまいのである。
風呂にうなり,部屋でビールを飲み,
6時半から夕食である。
今夜の食べ物のメインはすきやきで,話しのメインは「震災」である。
「震災」時の大変なご苦労が,被災されたご本人の口から聞かれる。
他方,「高校時代には,学生服を店員にあずけて,パチンコをしていた」という青春豪胆話も。
人間は面白い。
8時半から宴会である。
往復いびき,京大,初極楽の思い出,お互いの出会い,学校の成績,
市民社会と自由な集まり,正義漢嫌い,「おまえタバコを吸え」等々。
時がたつほど,男たちはまぶたが重くなり,
口の動きは女たちの優位となる。
「明日を考えて早く眠りたい」,
しかし「今夜がさかやの最後の宴会」である。
結局,12時前の終了となる。
男たち5人が一斉に歯を磨きだすのは,なかなか不思議な光景である。
〔10日(金)〕……鬼太郎後頭部打撲,そば,猛スピードタクシー,車内販売阻止,全日程無事終了となる。
12時就寝,7時半起床の朝であった。
6時に一度目がさめたが,またグッスリと眠りに落ちた。
風呂につかり,8時には「さかや」3度目の朝食をとる。
今朝も,麦とろメシをツルツルツルリ。
荷物をかたづけ,9時にはロビーに全員集合。
Y本先生とI田先生が「早帰り部隊」として,ここで先に帰られる。
「さかや」の玄関前で集合写真を1枚パチリ。
9時30分には,残り6名で山にあがる。
S木さんが「ファン・スキーをやる」というので,
「ファン・スキー師匠」として技術指導にあたっていく。
しかし,教えられたのは,「ころんだ時にはスキーを雪面からはなす」
「型にとらわれないで自由に遊ぶ」,
このたった2つのことだけ。
わが技術は,所詮その程度ということである。
山はうっすら曇り空。
しかし,これといって寒くもなく,
すべるには十分の条件である。
「パラダイス」を1本すべって,ただちに「やまびこ」にあがっていく。
U田先生等3人を探しまわるが,
ノンストップ,全力疾走で何回すべっても見つからない。
水分補給のため,途中,一度下に降りていたとか。
12時には「パスタ・デ・パスタ」に集合である。
前日,「12時,6名」で予約しておいたが,
なぜか「20分ほど待って,3名ずつの席で」との対応である。
これでは予約の意味がない。
あっさりと,いつもの「ドンブリ・ハウス」に場所を変更。
あとにソバがひかえているので,今日は麺をやめて「カツカレー」とする。
レジで,小さな子どもが,店のマスターとジャンケン勝負を展開している。
ゲレンデに隠された「ニコニコ宝袋」を見つけたようで,
ジャンケンに勝った子ども家族は,いくらかの割引を手にしたらしい。
微笑ましい「勝負」の瞬間であった。
I田先生から「去年も食べた長野のそば屋で昼食」とのメールが入る。
「早帰り部隊」も,やることはしっかりやっているのである。
さすがに誰にも疲れが出る。
それでも,チーム・ファンスキーは,
「パラダイス」のはしに見つけたうねりをつかい,
「ミニ連続ジャンプ」に挑戦していく。
「あと2本で下山」というところで,S木さんが着地(?)に失敗。
転倒して帽子をふきとばす。
「足はあげたが,アタマを打った」。
なるほど,そういう注意も必要だったか。
「来年からはヘルメットがいる」「ジャンプは地上50センチまで」,
最後にいくつか教訓も得る。
2時前には下山とする。
ゲレンデ全体の入り口には,小さな子どもたちの遊び場もつくられていた。
リフトのメダルを返して,ガチャガチャと山を降りていく。
今年はこれでおしまいである。
荷物を片づけ,ザザッとお風呂に入っていく。
「う~,極楽,極楽」。
掃除されたばかりの風呂が,われわれだけの貸し切り状態。
雪の見える露天風呂で,旅行の最後をかみしめていく。
宅急便の発送準備をすませ,3時20分には「さかや」を出る。
めざすは「庄平そば」である。
長野でそばを食わない手はないのである。
ざるそばと樽酒をたのんでみる。
「そばは飲み物」「うまいうまい」と,われわれの食欲にはとどまるところがまったくない。
4時には「さかや」前にもどり,予約してあったジャンボタクシーに乗り込んでいく。
いよいよ「帰り道」のはじまりである。
今後の学内事情を,猛然と語り,
グーッと眠気に襲われていく。
なかなか駅につかないので,
「5時29分発なんですけど大丈夫ですか」と,運転手さんにたずねてみる。
どうやら時間の自覚がなかったようで,
タクシーのスピードが突然あがる。
25分ころには駅につき,全員ドタバタ走ってホームへ到着。
しかし,電車は雪で5分遅れており,結果オーライの結末となる。
電車の中では,さっそく酒である。
まだワインが,焼酎が,つまみもあれこれ残っている。
「今年は良かった」「今年は良かった」
ワイワイにぎやかにやっていく。
7時20分すぎに「金沢」で乗りかえである。
ここで駅弁を各自調達。
この時間,すでに残り物しかなく,こちらは定番の「かにめし」とする。
飲み続け,しゃべり続け,人によっては眠り続けていく。
横をとおりすぎる乗客が,「うわあ,酒くせえ」とつぶやいていく。
U田先生が,長い足を通路にのばして眠り,
車内販売のオネエサンをストップさせる。
この足をしずかに「回収」したのは,ドクターであった。
富山を抜け,福井を抜け,琵琶湖の西を「雷鳥」は下り,
「京都」でU野先生が降りていく。
10時半には「大阪」に到着。
人込みでごった返す駅のホームでお別れである。
「尼崎」を経由して,11時には「加島」に到着。
家にはすでに,土産の品がとどいていた。
ただちにメールをひらくと,ドドドン,ドドドンと259通である。
しかし,約半数はアホダラメール。
本年の「極楽スキー」参加者は,
Y本・U野・U田・S木・S藤・I田・M杉先生と幹事ワルモノの計8名である。
1年後には,ぜひ「若い血」を導入したいものである。
〔追記〕
翌11日,午前10時半には,「さかや」から送ったスキーがとどいた。
世の中というのは便利なものである。
旧HPからの移転。
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「極楽スキー」2005
2004年3月6日(日)~3月10日(木)……「極楽スキー2005」。
Y本先生からとどいた写真
〔6日〕……いざ野沢温泉へ。
2時就寝,8時30分起床の朝であった。
早く眠らねばと思いつつ,夜は「松五郎の人」となっていた。
ゆず茶を飲みながらメールをチェックし,トロトロと動いてシャワーに入る。
10時20分,家を出る。
JR「加島」から「尼崎」へ,「新大阪」へ。
おっと,これは,遅い!
しかし,天の助けというのはあるものである。
予定の新幹線(10時53分発)が,雪のために5分の遅れとなっていた。
駅の中をバタバタと走り,その「遅れ」情報の確認とともに,平穏無事な顔へともどる。
ホームには,すでに,今年の極楽スキー参加の人々が集まっていた。
Y本・M浦・U田・M杉・S藤・I黒の多角的各先生と,初参加のジュニアのSちゃんである。
とりあえずは,こちらをふくめて合計8名。
今年はシュプール号がつかえないので,新幹線での出発となる。
しばらくすると,京都から,U野先生が乗り込んでくる。
「お天道様の明るいうちは,酒には手を出すことができねぇ」。
「いつ飲みはじめるのだ」と心の中で牽制しあいながら,静かに東へと移動していく。
外はまぶしいくらいの快晴である。
滋賀県にはいったあたりで,どうしても山の上の雪に目がとまる。
「名古屋」到着11時45分の予定であった。
しかし,遅れは回復せず,到着は50分をまわってしまう。
「新大阪」ではありがたかった遅れが,ここでは逆にうれしくない。
ドタバタみんなで,乗り換えホームへ走っていく。
それでも,ホームで駅弁を買うゆとりにはめぐまれた。
名古屋からはI田先生も合流し,これで今年の顔ぶれ総勢10名が勢ぞろいした。
12時ちょうどには,「しなの11号」が発車する。
ごきげんうかがいのために,Sちゃんに「かにまんじゅう」を渡してみる。
学生の妙な土産も,こんなときには大いに役に立つ。
3年生T本よ,どこで買ったのかは知らないが,でかした。
それぞれに駅弁を食べながら,話ははずむ。
「来年は蔵王にいくというのはどうだろう」。
「山形空港まで飛行機でいけばいいのではないか」。
まだ,今年のスキーをしないうちから,来年の場所を考えはじめている。
だんだんテンションがあがってくるのである。
2時49分,定刻どおりにJR「長野」に到着。
ここで3時05分発の飯山線,普通列車に乗り換えである。
駅のホームで時間をつぶす。
天気はいいが,風がつめたい。
とはいえ,そうでなくてはこまるのだが。
時間によっては「ワンマン」もあるという,2両だけのこじんまりとした電車が時間に入ってくる。
ドヤドヤと乗り込んでいく。
3時半になったところで,離れて座っていた3人組から,U田先生が「ヒマなので」と散歩にやってくる。
車両をこえて電車を散歩する人間もめずらしい。
それくらい,ゆったりとした空気の電車であり,車内のようすであったということである。
「こんなにあちこち止まる電車なら,長野からタクシーでも良かったのでは」との声も出る。
何せこのルートははじめてである。
いろいろと「こうしてはどうか」のアイデアも出る。
4時06分,真っ白く雪だらけのJR「戸狩野沢温泉」に到着する。
たくさんキップがあってわかりづらく,ドクターS藤が帰りのキップまで駅員さんに渡してしまう。
それをみつけてくれた駅員さんには感謝,感謝である。
ここからは中型タクシー2台のはずであったが,やってきたのはマイクロバスのタクシー1台。
しかし,その方が,車内の空間が広く,みんなでおしゃべりもできるので良かったかも知れない。
「長野からここまでタクシーだと1時間で走りますか?」と聞いてみる。
「いや,1時間は無理だな,1時間半はかかるね」。
なるほど,止まり止まりではあっても,やはり電車で来たのは正解らしい。
しばらく運転手さんとしゃべり,9日の帰りのタクシーについても相談する。
「どうして黒姫にいくの?」「長野にいくんでしょ」。
なるほど,いわれて見ればそうである。
当初の予定ではタクシーで「黒姫」へ,そこから電車で「長野」へ折り返すことになっており,
そのため宿を夕方4時30分には出る必要があるとなっていた。
しかし,タクシー1時間半程度で「長野」に着くことができるなら,もっとゆっくり宿を出ることができる。
「では,5時30分発で長野までお願いします」と予定をかえる。
4時30分には,旅館「さかや」に到着する。
毎年お世話になっており,館内の様子も,「勝手知ったる他人の館」。
すでにとどけておいたスキー板や荷物を確認し,それから部屋へと通してもらう。
今年は3部屋を確保した。
女性の部屋,男性シニアの部屋,男性ヤングの部屋。
とはいえ,この男性ヤングの平均年齢がすでに40才をこえているであろうことが,いささかつらいところである。
部屋のテレビでゲレンデの様子を確認してみる。
大きなスキー場の代表的なゲレンデの様子が,次々うつる。
「よろしい」。
たくさんの雪があり,気温もそれなりの低さである。
満足して,みんなでただちに風呂に入る。
硫黄の香りが豊かな温泉である。
木の皮をきれいにはいだ丸太を枕に,浅い湯のなかに横たわる。
みんなでならぶと「メザシ」のようでもある。
そして,雪のなかの露天風呂へ,さらにはサウナへ。
椅子もおけも古くからの木製品。
実に良い風情であり,肌合いであり,湯気である。
6時前には,お湯を出る。
風呂を出たところに「休憩所」があり,ありがたいことに,だまっていても「そば茶」と「野沢菜」が出てくる。
しかし,決してだまっていないわれわれは,早くもビールを注文する。
何せ,ここまで一滴も酒を口にしていない。
ビールはその名も「YONAYONAエール」。
味と香りがしっかりとした,このあたりでしかお目にかかることのできないビールである。
サウナでかわいたカラタに,「2005極楽スキー」最初のビールがしみこんでいく。
6時30分から,食事である。
「サービス」として日本酒「水尾」の冷酒が4本もついていた。
それではまるで足りないのだが,もちろんこれはありがたい。
さらに,ビールも,熱燗も,Sちゃんをのぞく9名全員が,おのれのからだにしみこませていく。
食べ終わったところで,ただちに酒の買い出しに出る。
それぞれが自宅からもってきた酒4~5本はあるのだが,
「これでは足りない」「明日も,明後日も飲むのだ」という力強い合意があり,
U田・S藤・I川という,酒買出特殊工作部隊がつくられる。
15分程度で,任務は見事に完了である。
途中,薬局でゲレンデ用の日焼け止めも買ってみる。
部屋にもどって,ただちに宴会である。
毎年のことだが,話題はじつに多様である。
そして,人というのは,話してみねばわからぬところがあるものである。
安保条約,日韓条約,ベトナム戦争といった硬派な話題から,
「スキーより南の島がいい」という人さまの意表をついた酔っぱらい発言,
そして「和菓子づくりが趣味なのです」の声まで。
10時をすぎたところで,シニア部屋3人組が「明日にそなえて」と部屋にもどる。
残ったメンバーも,11時には「本日の宴会」を終了とする。
とはいえ,6時すぎからの飲みである。
すでに4~5時間はやっている。
しあわせな気分でグースカと眠る。
〔7日〕……雲ひとつない快晴である。
11時すぎ就寝,7時30分起床の朝である。
明け方,寒さのせいで目がさめたが,それでも全体的には良く眠ることかできたと思う。
ただちに温泉に向かい,シャクシャクと歯をみがいて,湯船につかる。
8時からは朝食である。
例年,ここから早くも太りはじめる。
そこには注意が必要である。
おいしい「麦とろ飯」だが,上のとろろを主にすすり,コメにはハシがとどかぬようにする。
1日の行動計画をみんなで確認して,いったん部屋にもどってみる。
TVでゲレンデ情報を確認し,気温のあがり具合も確かめる。
9時30分には,スキーウェアに着替えて,全員で宿を出発する。
スキーブーツをガシャガシャいわせ,肩にはスキーをかついで出発である。
長い「遊歩道」をのぼって,ゲレンデへ。
世間は驚くほどの「ピーカン」である。
文字どおり雲ひとつない快晴である。
ゴンドラであがり,リフトを乗り継ぎ,ただちに一番上の「やまびこ」へ。
ゴンドラの中から,雪の斜面に「かもしか」を見る。
ゴワゴワの黒い背中が最初に見え,つづいて2本のツノをのせた大きな顔がはっきり見える。
ほう,かもしかというのは,こんなところにいるものなのか。
まる1年ぶりのスキーである。
滑ってみるが,どうも手,足,腰の動きがさだまらない。
からだのあちこちがうまくつながらないといった感じである。
前傾の深さの問題か,ターンの大きさか,腕の振りかと,あれこれ少しずつためしてみる。
この2年はもっぱらショートスキーを愛好しており,今年も,両手にストックはない。
12時ちょうどには,全員「どんぶりハウス」に集合。
ここでも,食い過ぎをおさえるために,もっともあっさりしている(ようにみえる)醤油ラーメンを食べてみる。
「コロッケカレーの大盛り」といった巨大な食物を,見る見るうちに食べ尽くす屈強な御仁もおられたが。
1時には,ふたたびゲレンデにもどる。
ようやく斜面にカラダがなれてくる。
バラバラだった全身のバランスが,だんだん1つにまとまってくる。
姿勢を低くたもって,両太股の力をガシガシとつかって滑るのが気持ちいい。
調子がもどってきた3時には,全員「パスタ・デ・パスタ」に集合する。
「どんぶりハウス」とあわせて,これらの店は,この数年の安定した「ゲレンデの友」となっている。
苦いカプチーノで,甘いイタリアン・ジェラートを食べてみる。
つめたいものが,かわいたカラダにうれしい。
ふたたび「やまびこ」にあがっていく。
今日が月曜日ということもあるのだろうが,ボーダー禁止のゲレンデは,ほとんど「貸し切り」状態である。
天気の良さにも感謝し,斜面をターンしながら,「よろこびの舞」をM浦先生とともに披露する。
両手の自由なショート・スキーは,こういう時に便利である。
「技術と安全はカネで買え!」。
今年もU田先生が,くり返し吠えている。
全長5キロの「スカイライン」へ。
これは,山の尾根を走る最長コース。
遠くにつらなる雪山を見下ろしながらの滑走である。
じつに気分がいいのである。
4時からは,一番下の「日陰」ゲレンデで時間をすごす。
雪質は悪くなるが,それなりの距離と斜度があるので,ここも楽しくすべることができる。
上でリフトを降りたあたりに,ミニコブがつづいているのを見つけ,恐る恐るためしてみる。
「おお,これは面白い」。
1度目は,コブ3つではじき出される。
2度目も,やはりコブ3つで宙に舞う。
3つめで飛ばされているということは,じつはきっと,1つめからまるで乗れていないということである。
名手ドクターS藤にコーチをお願いし,3度目には,どうにかコブ5つまですべることができるようになる。
斜度が小さいので,気分がラクだ。
「面白い夕方のおもちゃを発見した」と,無邪気に喜ぶ。
5時すぎには,スキー場の入り口にある貸しスキー屋に,こちらのスキーを預けて歩いて帰る。
スキー場も便利になったものである。
5時30分,さっそく風呂でカラダをのばす。
ひさしぶりの酷使に,からだもあちこち悲鳴をあげている。
なんと,Y本先生が風呂の中にまでデジカメをもってきた。
露店風呂で,はいポーズ。
このオッサン集団は不気味である。
今日もサウナで汗をしぼり,6時すぎには「YONAYONAエール」をクピリと飲む。
女性陣をふくめて,ほぼ全員が,ここに集まり飲んでいる。
つづいて6時30分から夕食である。
果たしてウェブ上の日記は「露出趣味」なのか,
ラブリーとラグビーの関係やいかに,あの人の体重はなど,
じつにアホな話で盛り上がる。
アホな大人たちを横目に,まだ5才のSちゃんは,静かに「お子さまメニュー」を食べていた。
8時20分に食事は終了。
見つけたマッサージ機にカラダをはめこんでみる。
ほう,良くできたものである。
ふくらはぎや足のうらまで,もんでくれる。
「ああ」「うう」「いたたた……」などといいつつ,15分間もみしだかれる。
フラフラと部屋にもどり,9時前には,今夜の宴会を開始する。
子どもである自分と父との思想的葛藤,親である自分と子との関係,コブ攻略の方法について,
そして,M杉・I田両先生による二人完結漫談……。
大笑いのなか,今夜の極楽宴会は12時に達した。
〔8日〕……雲を切り裂く「よろこびの舞」。
やや眠りづらい夜をすごし,しかし7時30分の起床とする。
今朝もただちに温泉へ。
足の疲れは平気だが,なぜか背中がはっている。
わがストックなし特殊滑走法は,姿勢を維持するのに,胴体四方の筋肉を良くつかっているようである。
8時からの朝食である。
今朝も「すまないね」とつぶやきながら,「麦とろゴハン」のゴハンを残す。
席の向こうでは「日本人の食事は4割を残飯としている」「この不条理をどう考えるのか」とU野先生が吠えている。
他方で,「旅館の食事はどんな好き嫌いのある人にも食べてもらえるように,
いろんな種類のものをつねに多めに出しているのです」という,
M浦先生のありがたいお言葉も耳に入る。
しかし,わが炭水化物摂取減作戦は秘密とされた。
8時30分,念のため,食後ただちにマッサージ機にはまってみる。
9時30分には,みんなでガチャガチャとゲレンデへ向かう。
山の上は,昨日ほどの「ピーカン」ではない。
しかし,滑ってみると,雪質はいい。
さっそく「やまびこ」に上がり,サラサラ,サクサク,ふんわり雪を踏みしめてみる。
空の色を上下に区切る,遠くの山の上の直線については,
「おそらく逆転層だと思います」とM浦先生に教えてもらう。
なるほど,そういうものなのか。
この人は,いろんなことを知っている人である。
11時半まで,何度も滑り,そろそろ昼食ですねと下に降りる。
途中「上の平」ゲレンデあたりで,I黒親子と合流する。
スキーははじめてのSちゃんも,I黒オカアサンの指導(?)のもとに,
はやくも緩斜面でのボーゲンにカッコウがついてきている。
子どもの運動能力,吸収能力というのは大したものである。
昼食を食べる「どんぶりハウス」は,山の中腹の「パラダイス」ゲレンデにある。
ところが,下に降りるほどにガスが深まり,視界がドンドン悪くなる。
どうやら,山の低い位置の雲が,どんどん上昇しているらしい。
ちょうど「パラダイス」で視界は最悪となる。
目の前の1人がようやく見える程度で,2人先だとほとんど見えない。
「店はこのあたりだ」というカンだけを頼りに,すべっていく。
12時には,食い物を探る嗅覚の力で,なんとか店にたどりつく。
唯我独尊の単独滑走人生をおくるU野先生も,しばらくして無事,食料補給にやってくる。
味噌ラーメンを食べながら見る外は,カーテンをひいたように真っ白である。
「こりゃあ午後はダメかなあ」。
テレビ画面の各ゲレンデも,どこもかしこも真っ白である。
サービスに出されたりんごをかじり,コーヒーを飲んで時間をすごす。
結局,1時の時点で雲の中に残されたのは「やまびこ」だけ。
中腹以下のゲレンデには見事な青い空がひろがった。
「これならなんとかなるだろう」と,午後はいきなり「スカイライン」へ上がってみる。
雲の中に見えた頂上近くからのロングコースだが,あがるにつれて雲が次第に切れていく。
ここでも,空と太陽に向けた「感謝の舞」を披露する。
かつてモーゼが海をわったように(知らないけど),われわれもガスを晴れさせながらすべっていく(本当だ)。
ガシガシ,ガシガシガシガシ……。
3時には,「パスタ・デ・パスタ」にふたたび集合。
今日も,苦いカプチーノでカラダを刺激し,甘いジェラートでカラダをいやす。
アメとムチの両面作戦。
4時からは,「日陰」ゲレンデに下り,昨日にひきつづき,小コブのラインに挑んでいく。
「しっかりと深い前傾を」「スキーの腹を下に見せずに」
「もちあげられたらカラダをかぶせて」「上体は常に谷に向けて」。
1本すべって失敗するごとに,ドクターS藤のアドバイスがとぶ。
「ターンの後半はしっかり踏んで,スピードをコントロールする」。
おお,ついに出来たではないか。
人間,適切な指導があれば,やれることはこの年になってもふえるものである。
その後,何度かの失敗のすえに,見事ふたたび成功する。
満足のひとときである。
5時になると,ゲレンデ全体に「夕~焼~け 小~焼~けで」が流れてくる。
「みんな早くかえれよ~」
「下山の遊歩道をとめちまうぞ~」という合図である。
空には本当に夕陽がさして,うすいオレンジ色があらわれていた。
M杉先生等は,今日はスキーブーツもあずかており,帰りは普通のクツである。
限りなき「極楽」「ラクチン」が追求されているようである。
5時30分には宿にもどる。
宿の玄関には大きな「ハト車」があるのだが,そういえば,この場所をつかったビタミン飲料のCMがあった。
何度かTVで見た記憶がある。
ただちに温泉にひたっていく。
「ああ~,極楽,極楽」。
そして,湯上がりには,やはり「YONAYONAエール」。
「ふたたび,ああ~,極楽,極楽」。
6時30分からの夕食は,地元の牛をつかったすき焼きであった。
「おお,ウマイ,ウマイ」とバクバク食っていると,さらに次々料理がやってくる。
われわれはすでに,人の形をしたブロイラーと化している。
そう思いながらも,うまさに負けて,最後のうどんをズルズルと食う。
「みたび,ああ~,極楽,極楽」。
8時30分,この旅行2度目の買い出しに出る。
われわれの買い出し先は,酒屋以外には考えられない。
M浦・U田・S藤・I川の各精鋭部隊は,先日とはちがった酒屋に足を向ける。
「あれも,これも,そして,こいつも」。
各人各様の酒選びである。
宿にもどり,今夜もマッサージ機にはまり,9時からいつもの宴会とする。
相も変わらずテーマは多様。
「堤の脱税が」「政治家の集まる結婚式は」「武富士会長の脱税も」
しかし,中でも最大の盛り上がりを示したのは「冬ソナと奥様」という巨大な関係についてであった。
全何話をどこまで見たとか,かつての日本のドラマに似ているとか,
これによって日韓関係はどうなるとか,わが家もあれでDVDを買ったとか……。
そんなこんなで,にぎやかに夜はふけていく。
〔10日〕……アクシデント。そして「うまいそばは,急いですすれ」。
12時就寝,7時30分起床の朝であった。
今朝もまずは温泉へ。
すばやく歯をみがき,湯船でうなり,8時からの朝食に間に合う。
残念ながら,今日は最後の1日である。
とはいえ,シュプールなき今年の日程には,いつもにはない「ゆとり」があった。
他方で,宿での宿泊数はふえている。
自覚する以上にカラダはつかれているかも知れない。
「5時30分にはタクシーがきます」「3時30分からは下山をはじめるようにしましょう」。
予定を確認して,各自,荷物をかたづけ,9時30分にはフロント前に集合する。
数々の飲み代の清算もすませ,宿の入り口で「記念写真」をとる。
そして,心して「遊歩道」をあがっていく。
I黒先生とSちゃんの親子コンビは,一足早く,昼には帰る。
ゲレンデに立ったところで,「じゃあ,また」とお別れをすませる。
「ぜひ,来年も来てください」。
「Sちゃんも,酔っぱらいの大人たちにこりないでね」。
こちらは2年ぶりに「長いスキー」をはいてみる。
ショートスキーの経験が,長いスキーの運用にどのような前向きの成果を生んでいるかを確かめるために。
重いスキーをかついであがり,頂上の「やまびこ」で何度かすべってみる。
しかし,「前向きの成果」はひとつもなかった。
驚くべき事態である。
滑り方がまるで違っているらしい。
「う~む,これはイカン」。
これでは,いつものような「楽し,妖しのガジガジ滑り」がまったくできない。
長いスキーに見切りをつけ,1人で下界の貸しスキー屋にもどる。
そして,預けてあったショートスキーにはきかえ,ふたたび山へともどってくる。
昼食時間が近いので,「パラダイス」でショートの味わいを確かめる。
しみじみと,これがからだにあっている。
長いスキーが技術・作法を要する竹刀とすれば,
わがショートスキーはスポーツチャンバラのスポンジ刀。
妙に肌になじむのである。
人柄はスキーを選ぶということである。
12時をちょっとまわったところで,「どんぶりハウス」にかけつける。
今日は,ふたたび醤油ラーメン。
I田先生はから揚げどんぶりの小,U野先生はカレーライス,M杉先生はホットケーキと,それぞれ好きなものを食べていく。
3日もつづけてバクバク食うので,店からドリンクのサービスがついた。
「来年も来てね」ということであろう。
そういえば野沢温泉は,町をあげての「スキー・ボード客歓迎」という姿勢が,じつにしっかりつらぬかれている。
宿泊客減少のご時世のなか,その努力は,町自体の存亡をかけた取り組みでもあるのだろう。
がんばれ,野沢温泉。
ふたたび「やまびこ」にあがり,2時30分には「やまびこ」最後のひと滑りを終える。
これで3時からの休憩に入れば,今年の滑りは終わりである。
名残惜しく「パラダイス」に妖気をただよわせて,ガジガジすべる。
「あんなすべり方は,ゲレンデ中にアンタしかいない」。
足の疲れと闘うことが,心のそこから楽しく思える。
3時すぎ,「パスタ・デ・パスタ」に集合である。
今日は,サービス券をつかった,ただのアメリカンと,金のかかるジェラート。
ここでもさらにサービス券をもらい,「また来年つかってください」と声をかけてもらう。
人に優しいスキー場である。
つい3日前には「蔵王だ,蔵王だ」とさわいでいた連中が,
「やっはりスキーは野沢だね」と,なにごともなかったかのように語っている。
考えてみれば,これはこの数年,毎年くりかえされる光景である。
3時30分,下山の態勢に入っていく。
新しくつくられたコースをとおって,下まで滑り降りていくのである。
ところが,ここで,アクシデント発生。
どうということもない転倒に見えたが,I田先生のスキーのビンディングがこわれてしまった。
流れ止めがグイッとねじれて,すべることができなくなってしまったのである。
そのことに数人が気付いたのは,他のメンバーが先に降りたあと。
下でまちながら,こちらも「なぜ降りてこないのだ」と不思議に思ってケータイしてみる。
このような時,ケータイはまったく便利である。
「すべることができない」「下にいるドクターS藤に連絡した」「モービルが来てくれる」ということで,
「じゃあ,一番下で合流しましょう」という結論になる。
アタフタしながらも,事態は解決の方向を向く。
下の貸しスキー屋の前で,しばらく待つと,赤いランプをクルクルまわした雪上モービルが来る。
乗っているのは,I田先生。
「すみません,すみません」とのことだが,ケガがないのがさいわいである。
今日もまた唯我独尊の1人滑りを楽しんでいたU野先生が,
「いったい何があったのか」という顔で降りてくる。
「さあ,急いで宿にもどりましょう」。
このアクシデントで,20~30分は予定の時間に遅れている。
今日は,スキーもブーツも,みんなが持って,降りねばならない。
4時30分には宿に到着。
ただちに宅急便郵送の準備に入る。
ギュウギュウと荷物をつめていく。
そして,最後の温泉である。
筋肉をほぐした程度で,すばやく湯船を出ることにする。
ただちに外にでて,あわただしい土産購入の行動である。
時間どおりにタクシー(マイクロバス)が来る。
結局,出発時間は予定より2分遅れただけの5時32分。
一致団結しての全員大急ぎ行動の見事な成果である。
後ろ髪をひかれながら,ついに旅館「さかや」を後にする。
食事も風呂も部屋もサービスも,いうことなしの旅館である。
今年も,お世話になりました。
JR「長野」発の電車の時間は7時31分である。
それまでに,なんとか「信州そば」を食べようという作戦である。
I田先生が宿のインターネットで調べてくれた駅近くのそば屋「柏屋」をめざす。
クルマのなかで,全員がウツラウツラしたあと,
「いったいそば屋はどこにあるのか」が大きな問題となっていく。
運転手さんも,その店は知らない。
「長野駅西口にあるバス停の前の大きなとおりをわたって,駅を背にして左側の道を直進して,左側100メートルです」。
I田先生が何度も,悲痛な声でくりかえす。
「あれではないか」「この道でいいのか」「それらしい看板があるぞ」「おおあった」「ここだ,ここだ」。
事前に予約しておいた店に,ドヤドヤと入っていったのが6時50分。
ただちに「ざるだ」「大ざるだ」「熱燗だ」と注文がとぶ。
安全策をとって7時15分には店を出たい。
心は落ち着かないが,出てきたそばはウマかった。
さすが信州のそば屋である。
やや平らな麺の形と,こしの強さ,そばの香りがすばらしい。
「あたたかいそばがいい」と,ぜいたくにも天ぷらそばを注文したU野・Y本両先生分は,当然できあがりが遅くなる。
予定の7時15分になったところで,「ではお先に」と年長者2人を見捨てて,われわれ6人は店を出る。
帰りは特急「しなの26号」。
駅のホームにコンビニをみつけて,酒のつまみを買い足していく。
酒は「さかや」の残りが何本もある。
チーム「天ぷらそば」も間に合った。
ただちに,シートを向かい合わせにして,飲めや,食えやをはじめていく。
はしゃぎすぎて,少々声が大きすぎた。
車内のみなさん,ごめんなさい。
時がたち,疲れがでるほど,われわれも次第に無口になっていく。
10時26分,名古屋に到着。
予定の「のぞみ」まで28分の待ち時間がある。
ここでドクターから「この時間の新幹線はすいてます」「早いのに乗りましょう」と提案がある。
決定即行動で,ただちに乗車。
ドクターのいわれるとおりであった。
車内はガラガラ。
ここでも,シートをグルッとまわして最後の時間を楽しんでいく。
脳味噌溶解からの立ち直りを気づかってか,最初に知的生活への復帰努力を開始したのはY本先生であった。
「読書」である。
おお,この数日,だれもがすっかり忘れていた,なつかしい響きの言葉である。
Y本先生の顔が,さっきのそば屋での顔とはかわっている。
人はこうして仕事モードにもどっていく。
「京都」でU野先生が降りられた。
11時30分,「新大阪」に残り7人が到着する。
大阪の夜は驚くほどにあたたかい。
新快速に乗り換え,「尼崎」で,3人が降りる。
そして,ここからわが極楽メンバーは,北へ,西へ,南へと別れた。
今年の「2005極楽スキー」全日程の終了である。
たくさんのサラリーマンの姿に,どこか違和感を感じながら,12時ちょうどには家にもどる。
ああ,早く,来年にならないかなあ。
旧HPからの移転。
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「極楽スキー」2004
2004年3月7日(日)~3月11日(木)……「極楽スキー2004」。
〔7日〕……出発の夜,電車がこない。
夜,「加島」発9時19分の普通電車で,「尼崎」へ。
しかし,行ってみると快速,新快速とも豪快な遅れが出ているという。
「神戸」方面で,機器の故障があったらしい。
これは,マズイ。
相方ともども,大慌てでタクシーに乗り込む。
阪急「十三」で,こちらだけが降り,ここで相方とは,しばしの別れとする。
こちらは,野沢温泉へスキーをしに,あちらはネパールへ何事かを企みに。
相方のご帰国は25日ころのことになるらしい。
9時49分発の快速特急で,「十三」から京都方面へと向かう。
あいかわらずの綱渡り人生である。
しかし,「大阪」からシュプールに乗り込むメンバーは,このダイヤの乱れにひっかかってはいないだろうか。
9時30分には,「西院」へ着く。
さらに,スイスイと9時40分には,チビたちのところへ到着。
キティラーのA子に,特殊キティを1つおき,ただちにC男と外に出る。
スキーにまるで関心のないB男は,マンガを1冊受け取った。
やたらと荷物の多いC男とともに,10時にはJR「京都」に到着する。
間に合った。
案外「余裕」の時間である。
0番ホームで,予定どおりU野先生と合流する。
しばらくしゃべって,やってきた10時20分発「シュプール3号」に乗り込んでいく。
約5分の遅れであった。
ただちにサロンカーへ移動。
そこでは,すでに6人のメンバーによる車内宴会が,にぎやかに行われている。
新顔はリサーチ鬼太郎と,ドクター佐藤(詳細はU田先生のHPのどこかを参照のこと)。
その他に,常連組として,M杉・I田・T橋・U野・U田の各先生がおり,それにワルモノ親子がつけくわわる。
このような顔ぶれでの,総勢9人の「極楽」である。
例によって,酒とつまみに事欠くことはない。
シャンパン,ワイン,焼酎,日本酒……。
ゴクゴクとのみ,バクバクと食べ,カジカジとしがみ,ガハハハと笑う。
ハロウィンネタや,飛田新地ネタでももりあがる。
C男はメンドーくさそうながら,それでも,バスケネタとバス釣りネタで話題にかんでいた。
たっぷりと「宴会」を楽しみ,1時には,全員「歯磨きの人」となる。
明日の朝は早く,常連組の平均年齢は高い。
バカ飲みしながら,しかし,あたまの片隅には,「明日があるから」の気分がある。
〔8日〕……アクシデント発生,C男ゲレンデに花と散る。
「ただいま5時13分です」。
「シュプール号」の朝は早く,車内アナウンスの開始時間もやたらと早い。
何度か,アナウンスの声に目を覚ましながら,7時にはキッパリと立ち上がることになる。
さいわい風邪は悪くなっていない。
結構なことである。
7時26分,列車は終点「黒姫」に到着。
快晴である。
見事な山であり,見事な雪である。
駅前から,7時40分発の「シュプール野沢1号」に乗る。
野沢温泉へのバスである。
雪にかざられた大きな山の景色をながめ,ウトウトしていく。
そのうちにバスは野沢温泉に到着する。
9時40分である。
予定どおり「いつもの飯屋」に突撃し,予定どおりI田先生が「食わしてくれ」と叫んでいく。
しかし,一昨年のような力づくでの「勝利」はなし。
やはり営業時間外に食わしてもらうのは無理のようである。
仕方なく,ホクホクと湯気のあがるお土産屋の前にむらがり,
野沢菜のはいった「おやき」や,アツアツの「温泉まんじゅう」を食べていく。
「おやき」は先日の「あど街ック天国」でも話題になっていたが,これがなかなかウマイのである。
いつもの「旅館・さかや」に入り,手続きをとる。
それぞれ宅急便で送っておいた荷物を確認し,ただちに温泉につかることにする。
月曜の朝である。
大きな風呂場には,他に1人の客もいない。
「ああ,極楽,極楽」。
この言葉とともに,「極楽スキー2004」は本格的に開始する。
10時30分には,ウェアに身をつつみ,スキーをかついで旅館を出る。
歩きづらいスキー靴で,ガチャリ,ガチャリと5分ほど歩き,
あとは長い「動く歩道」に身をまかせる。
そこを抜けるとゲレンデである。
真っ白なスキーの世界である。
ゴンドラに乗り,さらに,いくつかのリフトを乗り継ぎ,頂上へと向かう。
快晴,低温,無風,見晴らし良し,他の客少なし。
最高である。
本当に最高である。
11時30分には,山頂の「やまびこ」ゲレンデで滑り出す。
ワルモノ組は,親子してファンスキーである。
C男は今シーズン2度目である。
岩手出身のドクター佐藤が,軽快な技を披露すれば,
「あっち」方面出身のリサーチ鬼太郎は,以外に落ち着いた滑りでゲレンデを削っていく。
I田先生は,板からウェアまで全身「おニュー」のお披露目である。
12時30分,アクシデント発生。
C男が転倒し,足をひねってしまったのである。
アッチャー,いきなりコイツはどうしたことか。
とはいえ,ケガである。
スキーがうまく,医学に通じ(だってドクターだから),なおかつ一番若くて体力のあるドクター佐藤が,
ゲレンデの途中からリフトまでC男をおぶって,滑ってくれる。
ありがとうドクター。
ドクターには,初参加にして,いきなり大車輪の活躍であった。
スノーモービルが走り,オレンジのつなぎに身をつつんだ救急隊がやってくる。
「とりあえず,ゴンドラのやまびこ駅にきて下さい」。
救急隊員は,そう言い残して,C男を連れ去った。
急いで斜面をくだり,ゴンドラの駅へと向かう。
行くとC男はすでに,渋い表情で車椅子に座っている。
2人でゴンドラに乗り,「長坂」のゲレンデを一番下まで降りていく。
待っていてくれた救急隊のスノーモービルに3人乗りし,つぎにクルマに乗り込んでいく。
つれて行ってもらった先は,「旅館さかや」のすぐ裏手の「野沢医院」。
じつは「旅館」の露天風呂から,その一角が見えるほどの近さである。
「こういうケガが毎日あります」
「多いときは1日に10件くらい」
救急隊員は,落ち着いて話をしながら,C男のファンスキーのビンディングの問題を指摘した。
診療時間外の病院のなかで,ケガをした瞬間の模様などをアンケートに記入し,しばらく時間を待つ。
壁にはられた新聞記事をながめると,ここはスキー関係のケガについては,全国に名だたる第一級の病院らしい。
冬のオリンピックのチーム・ドクターなんて人もいるようだ。
C男の足のレントゲンから,診察が始まる。
とった写真が,診察する医師のパソコンに届く。
問診,触診のあと,バリバリとテーピングがほどこされていく。
右膝内側のじん帯損傷,そして右足首のコッタンセン(辞書にのっていない)損傷との診断である。
「安静にして,あとは,この袋に雪をつめて,ズッと冷やしてください」
「これから痛みやハレが出てくると思います」。
C男の「極楽」はあっさりと終わっていった。
それにしても,足をひねってから,ここまでの時間がじつに短い。
ゲレンデのレスキューのみなさん,ありがとうございました。
通常なら歩いて3分の距離を,10分以上もかけて「旅館」へもどる。
完全に,ケンケン状態である。
2時30分「さかや」でも車椅子を借り,C男は全面的に「ケガによるうなだれの人」となっていく。
部屋に入り,荷物を整理し,足をラクにすることのできるC男の居場所をつくっていく。
昼食をとっていなかったので,外に出てコンビニに入る。
そして,今朝も「おやき」を食べたお土産屋で,アツアツの「中華ドック」を買う。
「ホットドック」の中華まんじゅう版ということらしい。
コンビニで教えてもらった本屋は休んでいた。
病院でもらった袋に雪をつめこんで部屋にもどる。
まずは,足の冷却である。
つづいて「ドック」食いである。
さいわい痛みは強くないらしい。
スキーをあきらめ,テレビとマンガに当面する人生のいきがいを求めたC男は,
さかんにチャンネルをバチバチやりはじめる。
そして,2人で字幕版の「スタートレック」をながめながら,静かに眠りにつく。
4時30分ころになると,次々とゲレンデ組が帰ってくる。
そして,そのたびに「大丈夫ですか」「どうだった?」といった質問をあび,
「テーピングをした」「骨折はしてない」「固定して冷やすほかないらしい」といった,同じ様な回答をくりかえす。
6時には,温泉につかりに行く。
「冷やす」ことが必要はC男は,温泉に入ることもできない。
C男の「極楽」は,夢のかなたに去っていく。
6時30分から,夕食となる。
料理は思っていたより,はるかに豪華版。
その量も十分である。
1人だけ,イスにすわって「殿様」状態のC男は,和食中心の「旅館食」が苦手である。
このあたりで,C男の「極楽」は200%完璧に終わったようす。
それでも,各方面の同情をあび,あちこちから「肉」をもらって食っていく。
ビール3~4本があき,300ミリの日本酒4本があき,さらに追加した日本酒4号ビンが瞬く間にカラになる。
しゃべり,食い,笑い,飲む。
文字どおり,全力をついやしてこれを行う時間である。
満腹になり,8時30分には部屋にもどる。
そして,9時には2次会を開始する。
宴会場は,U田・U野・ドクター3氏の部屋である。
女性部屋,ワルモノ部屋(相撲部屋ではない)にくらべ,いちばん広い部屋なのだが,
その広さの質が独特である。
通常の広さの向こうななめ45度方向に,不思議な5角形の部屋がつけくわわっている。
フーコーの「監獄」を思わせるような,つながり方である。
「これでふすまをしめたら,全員,つぎつぎオカシクなるな」
そんな話しをしながら,やはり,ここでも,飲み,しゃべり,笑い,かじる。
ワインがあき,日本酒があき,焼酎があき,当然のように,空きビンがゴロゴロところがっていく。
「うう~ん,水がうまい」
「水割りがじつにうまい」
「口のなかで甘さがひろがりますね」。
蘊蓄(うんちく)と多角的豆知識をそなえる鬼太郎が,まるくまとめていく。
何度か,雪をとりかえ,C男の足を冷やしていく。
処置がはやかったためか,ハレにも痛みにも,大きな変化はなかったようだ。
その夜,テレビに熱中したC男は,酔っぱらった親ワルモノが眠ったあとも,
1人に遅くまでテレビをながめていたようである。
〔9日〕……ヤーコン論争から口開け論文まで。
8時,ケータイ目ざましのうなり声で目をさます。
夜中に,雪袋がはずれてしまったC男は,静かに布団をぬらしていた。
そして,「ゆかたの前」も。
「カッコわる~」「まあ,しゃあないやろ」。
それでも,若い人間の回復力はおそろしい。
すでに,痛む右足の先を床につけて,ピョコピョコと動き回りはじめた。
もはや,車椅子は不要である。
階段以外は,さほど遜色なく歩く。
8時30分から9時まで,朝食。
さすがに,朝は酒もない。
やわらかい温泉ガユを,温泉卵でパクパクと食べる。
このバランスがなかなかいい。
C男は「とろろゴハン」に熱中していた。
他のメンバーと別れて,今朝も「野沢医院」へと診察を受けに行く。
驚きである。
昨日は閑散としていた病院の待合室が,地元のジイチャン・バアチャンたちにうめつくされている。
なるほど,この病院は別にスキー客専用の病院ではなく,なによりも地元の人たちのための病院なのであった。
しばらく待って,診察をしてもらう。
「このままテーピング」「ちゃんと冷やすこと」が基本方針。
「明日はこなくていい」「京都にもどったら,もう1度形成外科にいくこと」などの指示を受ける。
ていねいに「紹介状」も書いてくれた。
ありがたいことだ。
「足なおったら,また野沢のスキー場に来てくれよ」と,お医者さんがC男に声をかけてくれる。
順調な回復は不幸中の幸い。
ヘコヘコ歩いて「旅館」にもどり,C男を部屋に残して,再び出る。
コンビニでC男の昼食や菓子を購入。
つづいて土産屋に入り,各方面への土産をただちに郵送していく。
キティラーには,「おこじょキティ」と「リンゴキティ」も忘れない。
さらに,2つの袋に雪をいれて,部屋にもどる。
食い物,飲み物,テレビのリモコン,足の冷却雪などをセットし,11時すぎには,
C男を見捨てて,1人ゲレンデへ向かう。
今日も見事に快晴である。
昨日より,少しだけ暖かいが,上にあがれば雪質にも問題はない。
1人で頂上付近を数本滑って,12時30分には「パラダイス」ゲレンデの「どんぶりハウス・コンドル」に行く。
ここで7人のメンバーと合流。
チャーシューメンを食べる。
スキー場らしい食事である。
店の名前どおり,たくさんのどんぶりがある。
そして,それぞれに「大盛り・普通・小さい」の区別も。
それにして,大盛りの威力をすさまじい。
食べ終わって,再び,山頂にもどり,ガツガツと滑る。
他のメンバーより滑走時間が短いので,なんだか力があまっているような気分になる。
それらしい滑りかたのよくわからないファンスキーだが,しゃがんだり,立ったり,手の位置をかえたりと,
いろんなことをためしてみる。
3時ちょうど,「パスタ・デ・パスタ」に集まる。
チーズ・ケーキとカプチーノ。
「来年はハロウィンのような仮装ですべってはどうか」といった話しも出る。
そして,また,時間を惜しんで,ゲレンデへもどる。
何本も「やまびこ」を滑り,最後の最後には,長い長い「林道」を下っていく。
4時30分には「旅館」にもどる。
ただちに温泉にとびこみ,ウデッと横になる。
太い丸太が枕としておかれた,「ウデッと横になる人」用の風呂である。
ついでに,風呂のなかでストレッチもする。
もう風邪の気配はどこにもない。
わが体力の完全勝利である。
風呂上がりには,U田先生・ドクターとともに,すぐ前の休憩所で地ビールを飲む。
部屋にもどり,C男の雪袋の雪をとりかえて,テレビをながめながらウトウトする。
心底「極楽」である。
6時半,夕食に集合。
ここで話題になったのが,「お品書き」にあった「ヤーコン牛肉巻き」のヤーコンである。
「ヤーコンとは何か」。
一方に,それは「大根のような根菜類であろう」との意見があり,
他方には,「おそらくモンゴルあたりにいるヤーコン牛という牛の種類であろう」との声も出る。
食事のお世話をしてくれた,お姉さんに聞いてみるが,満足のいく答えはでない。
わざわざ調理方面の人に聞いてくれた結果,正解はどうも前者であるようす。
しかし「世界のどこかにヤーコン牛はいるかも知れない」。
ひとしきりの「ヤーコン論争」であった。
2日間とも,食事はとてもおいしい。
さすがは「旅館・さかや」である。
C男が様々にお世話になったので,ここは特に,ひとつ高く持ち上げておきたい。
さすがは「旅館・さかや」である。
8時すぎから2次会である。
みんなでかなり飲むのだが,それでも酒がなくならない。
互いが持ち込んでいるそもそもの酒の量が多いのである。
どこまでつづく「宴会」ぞ。
酒の勢いをかり,ドクターS藤をさしおいて,健康談義に花を咲かせる。
「考えているときには,かならず歯をかみしめている」
「では,口をあけたままでは論文は書けないものなのか」
新しい実践の課題が提起される。
興味深かったのは,マウスピースによる交合の改善が全身にあたえる影響の問題。
何せ,顎関節症をかかえているのだから。
10時には全体が終わるが,なんだか飲み足りず,部屋にもどって,ピスタチオをかじりながら1人で酒を飲む。
そして,11時になって,C男と2人でカップラーメンを食べる。
なんだか他人に見られてはいけないような,後ろめたい気分になる。
しかし,満腹の酔っぱらいにカップラーメンである。
いままで話し合っていた健康問題にはまるで逆行する行為だが,
しかし,精神的にはあぶらぎった充実の瞬間である。
歯を磨くと,ブラシが真っ黄色に染まった。
カレーヌードルおそるべし。
〔10日〕……ああ,駅前そば屋無情。
今朝も8時の起床である。
うなるケータイには,マナーモードでも十分人を起こす力がある。
8時30分から朝食となる。
C男は「テーピングで足がまがらない」とブーをたれつつ,それでもヘコヘコと歩いている。
歩くぶんには痛みはないらしい。
またしても,温泉たまごで温泉がゆをすする。
何度もいうが,これがなかなかうまいのである。
9時すぎには,荷物の片づけをはじめていく。
3時ころまで滑るのだが,部屋のチェックアウトは11時である。
今のうちに荷物を部屋の外に出さねばならない。
居残りのC男用に特別の小さな部屋を用意してもらう。
そういえば,これはまったくのサービスで用意をしてもらった。
「旅館・さかや」万歳!
10時には,最後のゲレンデへと向かう。
3日間ぶっつづけでの快晴である。
こんなことはかつてなかった。
「これもC男クンが犠牲となってくれたおかげだ」
「あのケガは山と空の神への生贄だったのだ」
「いや,われわれ自身の日頃のおこないである」
好き勝手な言葉が陽気につらなる。
野沢温泉ゲレンデの水曜日は「ニコニコ水曜日」となっている。
水曜日にここを訪れると,次回のためのリフト1日券がタダでもらえる。
今日がその水曜なのだが,若いボーダーが2倍以上に増殖している。
「これはイカン」と,「スキーヤー・オンリー」の山頂「やまびこ」ゲレンデに直行する。
ガツガツと滑り,スルスルと滑り,ザクザクと滑る。
足に疲れがこないのがもどかしい。
そんな気分にさえなってくる。
ミッチリすべって,今日も12時30分には,「どんぶりハウス」に集合。
いつも朝昼はあまりハラがへらないのだが,今日はグーと,空腹を感じる。
こんなことは珍しいことだ。
そのグーの胃袋に,カツカレー,コーヒー,ソフトクリームを次々と放り込んでいく。
うまい。
たっぷりと動き回りながらの,ゲレンデでの食事は本当にうまい。
「はらへった」「はらへった」をくりかえしていた,U田先生・ドクターコンビのラーメンが,なぜかいちばん遅れた。
厨房をジッと見つめる2人の目には,木々も枯れる秋を思わせる,切ないまでのさみしさがただよっていた。
時間にせかされるように,残りの時間を滑っていく。
そうか,スケートと同じ要領で両手をふると,上下のからだのバランスがうまくとれるようだ。
ストックをもたない両手のやり場に,ようやくひとつの道が見えてきた。
しかし,きっと来年の「極楽」のスタート時には,そんなことはすっかり忘れているのだろう。
この数日,I田先生が,ドクターS藤の指導のもと,急速な技術の上達を示しつづけた。
最後を今日も「林道」でしめ,3時すぎには「旅館」にもどる。
温泉につかり,この4日間,「どうにでもなりやがれ」とのばしてきたヒゲをそる。
「真人間への復帰」のホンの少しの準備である。
風呂場を独占し,浅い「寝かせ湯」でストレッチをする。
荷物を片づけ,ほとんどを宅急便で送り出す。
C男には荷物をもたせず,何冊かのマンガとお茶,菓子だけを手にぶらさげさせる。
最後の清算を終える。
そして「今年も終わりましたね」と,ロビーで缶ビールをあけていく。
4時40分,いつものように「鳩車」の前で記念撮影。
温泉街を歩いてバス停へと向かう。
ターミナルで少しだけ時間をつぶし,5時05分発の「シュプール」バスに乗る。
次第に暗くなる外の景色を,名残惜しくながめながら,ウトウトしていく。
6時30分には,JR「黒姫」駅に到着する。
おっとどっこい,なんてこった。
夕食にとアテにしていた,いつものそば屋が閉まっている。
つめたい水でキリリとしめた「信州ソバ」を食わす店で,
「これがまた新鮮ウマイんだ」の馬刺しの例の店である。
なんてたっこ。
「今年はざるそば2枚で熱燗を」と,行く前から固く心に決めていたのに。
グッタリとショックにうちひしがれるが,まもなく立ち直って,みんなで近くのラーメン屋に入る。
ビール,餃子,チャーシュー,ザーサイ,ラーメン,コップ酒。
ラーメン屋には,ラーメン屋なりの楽しみかたがあるのであった。
さいわいにして,このラーメンがなかなかうまかった。
「さて,時間だ」と金の計算をしてもらいながら,
9人全員の目はテレビの「こんなウマイ寿司はない」という番組に釘付けとなっていた。
人間の食欲というものは,とかく,このように限りのないものなのである。
7時50分発の「シュプール号」に乗る。
ここが始発の駅である。
早々とサロンカーに陣取り,飲み,しがみ,しゃべり,笑うの体制に入る。
ラーメン屋から飲んでいるから,なんとも飲みの時間が長い。
20分も止まった「直江津」では,あらたに酒やつまみ,ソフトクリームなどが調達される。
冷静沈着を装うドクターも,レジで金を払って品物を置き忘れるなど,きびしい酔いにおそわれていた。
「シュプール号がなくなったらどうするのか」
「野沢温泉を死守したい」
「だが蔵王もすばらしい」
「おお,それはいい」
「でも,交通機関は飛行機になる」
「飛行機はいやだ,耳が痛くなる,それじゃあ,やっぱり野沢だ」
わがまま発言連発の主は,わが敬愛するU野先生であった。
「直江津」でかった練り物がうまい。
12時にせまい寝台にもぐりこむと,列車はちょうど「金沢」を通過するところであった。
〔11日〕……圧倒的な眠さである。
4時53分というチョー早朝の「京都」到着である。
わが親子とU野先生が,ここで降りる。
何人かの顔が,さよならと手をふってくれる。
乗降口から,歯ブラシをくわえながら,身を乗り出して手をふってくれたリサーチ鬼太郎をみて,
C男も静かに「鬼太郎……」とつぶやいていた。
ホームのうえでU野先生とお別れする。
改札を出て,しゃべっていると,家のカギがみつからないという。
「宅急便で送ってしまった」らしい。
まあ,明日・明後日にもかえってくる。
ともかく,C男を自宅へとどける。
当面のヤツの最大の心配事は,「家の用事」という理由で学校を休みながら,
この「足のケガ」をどう「いいわけ」するかということである。
「用事をしているときに,オトウサンに踏まれたというのはどうかな」
「黒姫」では,みんなが気楽なアドバイスをあたえていたが。
C男をとどけて,こちらは「京都駅」へとUターン。
5時52分発の普通電車で,ウトウトしながら移動する。
「尼崎」で乗り換えて,「加島」へもどる。
コンビニにより,郵便受から新聞やら封書やらをゴソッと抜き取る。
7時には,部屋に入る。
大阪の空はすっきりしない。
とりあえずと,留守電を聞き,FAXを打ち出し,メール46通をザッとながめて,布団に入る。
買ったばかりのお茶をゴキュゴキュと飲み,「ゴルゴ13」をながめて,眠りにつく。
これにて,「極楽スキー2004」全編の終わりでございます。
みなさん,お疲れさまでした。
3月10日は,今年のスキーの最終日である。
爆睡のため,朝の風呂は10分だけ。
8時からの朝食だが,
今朝はカツカレーの呪いから解放されて,
麦とろメシを,パクリ,ズルズルと食べていく。
部屋の荷物を整理し,9時30分には山へ向かう。
ゲレンデの様子が,昨日までとはかなり違う。
週末のため,人の数が急にふえているのである。
中でも,中高年のスキーヤーがふえているのが頼もしい。
頂上の「やまびこ」に今日も上がるが,
あまりの人の数に,途中から,「パラダイス」へ降りて来る。
最後を惜しむように,何度も滑り,
12時すぎにはゴンドラに乗る。
宿の前のみやげ屋で,「野沢菜おやき」を1つ買う。
毎年必ず食べている。
これで今年もノルマを達成。
風呂に入り,宅急便を出していく。
2時ちょうどには,宿から徒歩3分の「庄平そば」へ。
「水尾」を枡酒で飲んでいく。
アテは野沢菜と塩である。
枡の香りがとてもいい。
さらに「大ざる」2枚を食べていく。
冷たい「ざる」が,香る枡酒にしっかりと合う。
なんとも,なんともうまいのである。
宿にもどる途中,土産を買い込み,
アツアツの温泉饅頭も1つ立ち食い。
相方には「野沢菜じゃがりこ」を,
新参には岡本太郎による「湯」の文字が入ったたタオルを買う。
タオルは,新参の風呂での全身丸洗い用である。
宿の前で記念写真をとってもらい,
3時すぎにはジャンボタクシーに乗り込んでいく。
「直江津」までの道のりだが,
ここでグッスリ眠り込む。
疲れと酒の結果である。
列車の時刻より1時間も早く,「直江津」駅へ。
時間つぶしに,目の前のホテル・ハイマートの店「多忙」にはいっていく。
こちらは「大ざる」2杯でハラがふくれているが,
メンバーの3人は,豚トロやイカ焼きで酒を飲んでいく。
酒も料理もうまいらしい。
来年から,ここを最初からスケジュールにいれてはどうか,
さらにここでつくってくれる弁当を事前予約してはどうか。
そういう案がとびだして来る。
「直江津」駅で弁当3つを確保する。
5時29分には,「直江津」を出る。
ウトウトするうち,7時19分には「金沢」に到着。
乗り換えの間と,車内販売で,弁当の数を5つにのばす。
5つの弁当を6人で食べるが,
気がつけばハシが1つ足りない。
仕方なく,1本のハシを半分に折り,短いハシで食べていく。
その犠牲者は,I田先生とこちらである。
弁当5つは,6人の中をグルグルグルグルまわっていた。
思い出してケータイを開くと,
ここでもまるで圏外である。
なんてこった。
「これは故障であろう」との結論が出る。
車中ミニ宴会がつづき,話題は,男女関係に集中していく。
男女の良好な関係をいかにしてつくっていくか。
それぞれが個別的探究の成果を紹介していく。
こちらは「ゲラ直しの人」となり,
滋賀に入ったところで,これを終了する。
10時前には,「堅田」の駅で,U野先生が降りていく。
そして10時半には,終点「大阪」駅に到着となる。
これにて,今年の極楽スキーは終了である。
11時には家にもどり,261通のメールをひらく。
電源を切って,再起動すると,
ケータイはあっさり「圏外」を脱出した。
なるほど,そういうこともあるものか。
明日からはまた,ゴリゴリと仕事の連続である。
3月9日も,7時30分の起床である。
ボサボサ頭で,ただちに風呂につかっていく。
そして,朝からサウナで目をさます。
8時すぎからの食事である。
9時半には,山へ向かう。
動く歩道の中で,各自疲れはじめた足をほぐす。
夕べも少し雪が降り,
樹氷の雪も,昨日より大きく育っている。
今朝も頂上の「やまびこ」を中心に滑っていく。
大会にそなえた,ヘルメット姿のレーサーがたくさんいる。
こちらも,からだがなれて,
次第にスピード狂となってくる。
12時すぎには,「パラダイス」ゲレンデに降りて来る。
今日も,遠くに山がちょいと見える。
「どんぶりハウス」に入り,
ラーメンからカツカレーへ心の中の方針を変更。
ところが,このカツカレーが尋常でない大きさであった。
フウフウいいながら,食べていく。
午後は全員で,再び「やまびこ」へ。
晴れ間とガスが交互にやってくる空模様である。
晴れ間の樹氷は,このようにキレイ。
3時の休憩は,ジュース1杯にとどめていく。
4時20分には,ゴンドラで山をおり,
風呂で疲れを癒していく。
6時からの夕食だが,カツカレーでふくれたハラが,
もとにもどらず食べられない。
こんなことは初めてである。
ゲレンデの食事は,ハラの減った若者が分量の基準になっている。
食後は,マッサージチェアに30分。
さらに1面トップが「慰安婦」問題の「産経新聞」を読んでいくと,
なぜか9つもくしゃみが出る。
「産経」にうらみでもかっているのか。
部屋にもどると,男性陣3人がバッタリ倒れている。
エアーサロンパス臭い部屋の中だが,
全員疲れがピークに達している。
それでも9時半頃からミニ宴会。
M浦先生のチーズにあわせて,
女性陣が白赤2本のワインをもってくる。
この夜の話題は,格差と貧困,教育,
そして,市民の連帯の必要である。
12時ちょうどには,グッタリと眠る。
3月8日は,7時30分の起床である。
ただちに風呂に入り,8時からの朝食である。
バクバクと食べていくが,
前後の短い時間にU田先生が,新聞の原稿を1つ書いていく。
9時半には,山へ向かう。
こんなに雪の少ないここのスキー場は初めてである。
それでも,ゴンドラで山にあがると雪がある。
まったくもって,ありがたい。
大会があったとかで,頂上の「やまびこ」コースは,
ガッチリかたく固められている。
しかし,これまたありがたいことに,
そこに夕べからのこまかい新雪がのっている。
気温はマイナス10度に近く,
滑るのはとても快適だが,問題は唯一顔がとても冷たいこと。
それでも「やまびこ」を中心に,繰り返し,繰り返し,滑っていく。
12時30分には「パラダイス」コースの「どんぶりハウス」に集合である。
カルビ焼き肉丼を,ガツガツ,バクバクと食べていく。
各自,こだわりの食べ物があるようである。
満腹になったところで,
1時半には,ゲレンデにもどる。
あいかわらずガスがかかり,
気温がとても低い。
それでも,雲の隙間から,
気まぐれに太陽が顔を見せる。
その時には,たくさんの樹氷がきれいに見える。
なかなか見事な景色である。
3時には,「パスタ・デ・パスタ」で休憩とする。
こちらは,甘いアイスクリームを,
苦いカプチーノで食べていく。
時折,遠くに山が見える。
4時すぎには,ゴンドラで山をおりていく。
これがスキー場の入り口の風景である。
ここで土を見たのは初めてである。
おかげで「ここは駐車場だったのか」「ここに道路があったのか」と,
いくつも新しい発見がある。
いちばんウケた発見は,この石碑の文字である。
「休診の札をかかげてスキー行」。
なるほど,数年前には,
そういいそうな医師にC男がお世話になったことがある。
いつもは,これがまるまる雪にうもれているのである。
4時半には,旅館にもどり,コンビニや肉屋に買い物にいく。
再び旅館にもどると,前に大きなバスが停まっている。
夕べ,風呂で騒いでいた,その若者たちが乗り込んでいる。
これはありがたい。
満面の笑みで,このバスを送り出す。
おかげで夕方の風呂は,じつに静かな貸し切りであった。
風呂あがりのビールを飲んで,6時半から夕食である。
わいわいやっている席に,7時30分,M浦先生が登場する。
仕事を終えての到着である。
今夜も部屋にもどり,ミニ宴会をつづけていく。
しばらく,横で寝ていたU野先生は,
NHKの「大リーグ情報」と,われわれの話の「ベネズエラ」に反応する。
さらに話題は,子ども,家族,トルコ,バリ。
M浦先生がもってきたチーズを食べながらのおしゃべりである。
ケータイがまるで圏外になっていることに,ようやく気づく。
他のみんなはつながっているのに,
ボーダフォンの電波が弱いのだろうか。
山が呼ぶ,雪が呼ぶ,酒が呼ぶ,お湯が呼ぶ。
3月7日は,2007年極楽スキーの初日である。
7時40分には,起き上がり,ゴミ,段ボールを出していく。
JR「加島」から「尼崎」へ。
8時50分には「大阪」へ。
駅ホームにU田・M杉・I田の各先生が集まってくる。
9時12分には「大阪」を出発。
9時40分には「京都」から,U野先生も合流である。
滋賀に入ったあたりで,こっそり泡盛の栓をあけ,
各先生に「人間失格」と罵倒される。
しかし,そんな逆風にくじけるようなこちらではない。
ひとり静かになめていく。
列車が日本海側に抜けたところで,雪が強く降ってくる。
「金沢」12時02分着の予定が,12時19分着と遅れてしまう。
雪による「視界不良」が理由である。
ただちに「廻る近江町市場寿司」に直行する。
聞けば,この雪は今年はじめての雪だという。
金沢に,正月から3月まで,
まるで雪がなかったのは70数年ぶりのことだという。
予定より短い「金沢」滞在時間に,
みんなあわててはげしく食っていく。
わずか5人,20数分でこの数である。
寿司の他,熱燗4本,蟹汁2杯が空である。
まわりのすべてのお客を圧倒する,
騒々しいほどの食いっぷりであった。
1時16分に「金沢」を再び出発。
再び泡盛をかたむけながら,外の雪をながめていく。
ほどなく日本海が見えてくる。
しばし「ゲラ直しの人」となっていく。
雪の日本海はあれていた。
暖冬による雪不足を心配していたが,
この様子ならばと,気持ちがだんだん軽くなる。
3時すぎには「直江津」へ。
ここからはジャンボタクシーでの移動である。
ところが,ここで思わぬことが。
スキー場のある野沢温泉に近づくにつれ,
外の雪が消えていく。
4時30分には,まるで雪のない野沢温泉に到着。
だが,山の上には雪が残っているらしい。
宅急便で送っておいた荷物を整理する。
旅館はいつもの「さかや」である。
風呂に入るが,やたらと騒ぐ若者たちに,いささか辟易。
さらに,これが学生でなく,社会人だと聞かされて,
どうなっているのかとあきれかえる。
6時から夕食。
たっぷりと食べ,はげしく毒を吐き,
全員で胃をラクにする伸びをする。
8時には部屋にもどり,ミニ宴会を行っていく。
主な話題は,兵庫県知事選と,日本の対外戦略。
とりわけペリー来航以来の対米心性である。
12時すぎにはグッスリと寝る。
外には静かに雪が降っていた。
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