9月7日(月)は、4時半起床の朝であった。
大慌てで、本日の人生を立ち上げていく。
「西北」から空港バスの予定だったが、
相方が「大阪空港」まで送ってくれる。
お供は、家を脱走する可能性のある妹新参。
6時すぎには、空港に着き、
「70年原稿準備の人」となっていく。
7時すぎには、全員、無事に集合となる。
ドタバタしながら、手続きし、
8時すぎには、空に飛ぶ。
天候不良のために、福島空港には、遅れて到着。
(視界不良のため、羽田か仙台に降りるかも、
というアナウンスも何度かあった)。
お迎えのバスに乗り込んで、
11時には、川内村で、A元さんと合流する。
ただちに、「高山食品検査場」へ。
ここは、住民の食品や、
学校給食の食材の線量検査をする施設。
ちょうど、カボチャの検査が終わったところ。
セシウム134も、137も「未検出」。
簡易検査機とはいえ、検出限界値は
8ベクレルとなっている。
12時すぎには、「いわなの郷」に移動する。
夕食が「いわな」なので、お昼は、焼肉定食でそろえていく。
つづいて、A元さんのご案内で、
中学校、高校の建物を見て、
1時15分には、「五社の杜サポートセンター」へ。
I狩さんから、災害公営住宅
(いわゆる仮設だが、避難者の退去後も
長期につかえるつくりになっている)のみなさんへの
「生活支援」の様子をうかがっていく。
外は、ずっと雨である。
2時半にはバスにもどり、村内の野菜工場「きみどり」、
「こどもエナジー」、「工業団地予定地」と、
新たな仕事づくりの現場を見ていく。
あわせて立派な診療所や、
あらたな商業施設の予定地も。
3時すぎには、大津辺の仮置場に到着。
見渡す限りというほどの規模。
4時には、お宅にあがらせてもらい、
Sさんから被災直後の様子を聞かせていただく。
(後ろに立っておられるのがA元さん)。
「避難しなかったの」「年寄りの体調が悪かったから」
「3月16日にみんな避難して、どうなることかと思った」
「『子どもを頼む」って、親戚に電話したもの」。
福島大学の学生たちの宿舎にも顔を出すが、
みんな自転車移動でビッシャ、ビシャ。
長期のワークショップで、今日は、聞き取り調査だったとか。
あちこち、歩いた限りの空間線量はこれくらい。
こちらは、福島大学の学生たちの宿舎の前。
「あれこれ市場」「かうわちの湯」なども見せていただき、
5時には、「いわなの郷」にもどっていく。
1日の感想を全員が語り、
最後は、丹波史紀先生(福島大学)のお話となる。
7時には、おいしいゴハンをいただく。
ここでは「いわな」が養殖されている。
お刺身だったり、から揚げだったり。
学生たちは、こちらのコテージに宿泊。
こちらは、1人はみ出て、近くのビジネスホテルへ移動する。
ホテルといっても、部屋はこんな具合であり、
4畳くらいの広さだろうか。
主に、除染や復興作業の方が、
長期滞在するためのもの。
とはいえ、ゼネコンなどがつくる宿舎では、
この広さに2人が泊まることも多いらしい。
11時には、グーと眠りについていく。
明日は、朝から、3度目の浪江町へ移動する。
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