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1・米国はどのように世界経済システムを構築したか
⑥IMF・GATTはどのような世界を作ろうとしたか
1944年ブレトンウッズ協定(連合国44ケ国)、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(世界銀行)、45年25ケ国でスタート
(戦争の中での経済的・軍事的に突出した地位の獲得、その過程での戦後世界支配への意志の形成)
ケインズ的理想をドル基軸で、固定相場制、経常収支取引の自由化と資本取引の管理
貿易システムもケインズ主義的、1948年ガット「貿易と完全に関する一般協定」スタート
(ボンド中心型→ブロック経済化、この流れを再びドル中心型で統一していく、ただしもはや金本位制ではなく、中央銀行を通じた部分的な金1オンス35ドルの交換制度)
※ケインズ、完全雇用実現に各国が自主的財政・金融政策を、貿易拡大による経済成長と失業抑制
(大恐慌を転機とした自由主義の経済学から「賢明な管理」の経済学への転換)
2・戦後米国は世界をどのように作ろうとしたか
①輸出にかける米国企業
1934年互恵通商協定法、高関税政策の転換、輸出比率の高い産業、原綿・葉タバコ・工作機械・自動車
(アメリカの利益の中心にたったのがアメリカの誰の利益であったか)
ケインズ的有効需要政策(輸入増につながる)との結合、ケインズ+自由貿易
ケインズの国際清算同盟より資金総額の小さいIMF、世界の外貨不足にドルで対応する目論見
②マーシャル計画とヨーロッパの経済復興
復興への自力(外貨)をもたない西欧、トルーマンドクトリンからマーシャルプランへ
1948~52年の援助総額131.5億ドル、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダへ、76%が贈与
援助物資を販売させ、「見返り資金勘定」を米国との合意のもとにのみ使用させる
1951年相互安全保障法は「見返り資金勘定」の軍事目的使用を規定
(戦後アメリカによる経済復興政策は、「冷戦」環境の中でのアメリカの外交・軍事政策と密接にリンクしていた)
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