本日(8月15日),政治の世界が騒々しい中,半年来の懸案事項であった「Y田R子杯記念ボーリング大会」がついに開催のはこびとなった。
予定の4時にJR「尼崎」駅改札口に集合したのは,中心に立つY田親子,ハワイ帰りのI田先生,道場帰りのUっきひ,そして我が輩といういつもの顔ぶれであった。
そのまま,「やあやあ,ひさしぶり」とダベリながら,駅前の「ラウンド1」に直行する。
「R子ちゃん,ボーリングしたことあるか」。
「一度だけ,アメリカで」。
当初は「オッチャンが教えてやろう」との企画であったが,「昔とった杵柄」も30年の「昔」となると,今日,その痕跡を見つけることすら難しい。
悲しいかな,そのことが身にしみて良くわかる教訓の1日となった。
第1ゲーム112点,第2ゲームにのみかつての片鱗をみせて164点。
しかし,片鱗とは決して長続きするものではなく,第3ゲームはあえなく123点。
それでも3ゲームのうち2度までは,5人中第1位の成績であった。
他のメンバーの得点については,ここに記憶する必要のないことがわかっていただけるものと思う。
「私の点数ののびがもっとも顕著であった」といいはる母に,かるく2勝1敗の成績を残したR子ちゃんは,静かに母から100円玉1ケをせしめていた。
6時すぎからは,T橋先生もまじえて予定どおりの宴会となる。
靖国,韓国,フィリピン,ハワイ,PTA,各種研究会と,例によって話題はつきない。
「じゃあ,また今度」と,なぜか第2回ボーリング大会開催の方針が確認されて,こちらは9時40分の帰宅となった。
人生というのは,多面的に忙しいものである。
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