吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書,1992年)を読み終える。
戦時権力の内部対立や協調,戦後の彼らによる醜い「延命」の努力などがよく分かる。
特に戦後保守の形成につながる,戦時の「穏健派」の分析が勉強になった。
①親英米派とも呼ばれたこのグループは,15年戦争期に,対英米関係を悪化させる軍部の冒険政策に抑止的な態度をとった。
②ただし「大日本帝国」の拡大に軍事力行使を辞さないとする点で,「穏健派」もまた軍部強行派と共通する「帝国意識」をもつものであり,決して平和主義者などではない。
③彼らは強い反共主義の思想に裏打ちされた国体至上主義者で,社会的出自も概して高い特徴をもつ。
④戦争の進展にともない「穏健派」は,対英米開戦の判断もふくめ,軍部勢力との距離を縮める。その結果,「天皇=木戸」を中心とした宮中グループなど,多くは最終的に軍部とのゆるやかな政治ブロックをつくるにいたる。
⑤したがって,15年戦争期を単純に「軍部独裁」とするのは誤りあり,昭和天皇とそのグループを含む「穏健派」の追認・協力がそれを支える役割を果たしたことを見落としてはならない。
⑥敗戦の危機的状況下で「穏健派」は東京裁判にすすんで協力し,責任を軍部に押しつけ,彼らを切り捨てることによって生き残りをはかる。「昭和天皇独白録」は,天皇と側近によるその「延命」努力の一環である。
⑦さらに,ソ連等の共産主義との対立をきっかけとした対日占領政策転換の中で,この「穏健派」の中から(もともと反共主義で英米にも一定のコネをもった)占領政策の「受け皿」となる勢力が成長する。48年10月の第二次吉田内閣成立はその画期。
こうして日本政治の戦前戦後の「断絶」と「連続」の中で,主として「穏健派」が「連続」を担う中心勢力となっていく。侵略戦争を反省せず,天皇制を維持しようと努め,それでいて対米従属を貫くという戦後の保守政治はこうして生まれた。
ところで,日本政治の現在には,①「穏健派」によって切り捨てられた東条等軍部勢力への再評価を求め,②「穏健派」が率先して協力した「東京裁判」を全面否定しようとする力が台頭している。
「東京新聞」(8月5日)には次のような一節もあった。
「安倍氏に批判的なアジア外交重視派の加藤紘一元幹事長は『安倍氏は、東京裁判自体を否定したいという心情がある。小泉首相の参拝よりも深刻だ』と切って捨てている」。
この歴史の現局面を見るうえでも,この本は重要な視角とヒントを与えるものとなっている。
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