1月2日,夜,突如,ノートパソコンのウィンドウズが立ち上がらなくなる。
この段階で,わが人生はネット世界から切断され,
手元のワードを失ったことで,原稿書きもできなくなる。
正月だというのに,
ただちに「ハイテクお助け人」にSOSを送信。
1月3日,何事もなかったかのように,
相方「宴会」で飲んで遊び,
飲むほどにパソコン問題を忘れていく。
1月4日,お昼,早速「ハイテクお助け人」の参上となる。
各種の診断と復帰活動,データ救出の活動が行われる。
「とりあえずはこうしましょう」と,
わがパソコン人生についての緊急避難的対応方針も打ち出される。
夜,相方の「シエ造」号に乗り込み,一族3人で大学へ急行。
研究室のデスクトップパソコンを家に持ち帰ってくる。
ここで,原稿書き人生への復帰が可能となる。
研究棟で何人かの先生に出くわしたのは驚きであった。
実験系の先生方ではないのだが。
1月5日,朝,ノートパソコン修理の段取りをメーカー側と話し合う。
午後,一族で阿倍野「近鉄」へ出かけ,若干の買い物。
そのまま相方と新参は実家にもどって行く。
こちらは車中「御手洗の人」となって,「加島」にもどる。
考えてみれば,今年初の電車であった。
夜,原稿書きをすすめる。
1月6日(本日),朝,再び「ハイテクお助け人」の参上となる。
研究室から持ち帰ったデスクトップパソコンのネット接続が,まず実現。
つづいて,ノートからのすべてのデータの救出にも成功。
さらに「今後このような事態に備えて,こうしてはどうか」という提案もなされる。
これで当面の生活には不自由がなくなった。
この夕方には,ノート修理のための「運び人」もやってくるはずである。
もとの体制への完全な復帰は,1月20日前後の予定である。
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