アメリカ下院の「慰安婦」決議案だが、5月中に外交委員会で採否にかけられる可能性が高まっている。
個々の議員・政治家に応じて、決議案採択の狙いに違いはあるのだろうが、アメリカの国益という角度からすれば、これは、①日本(アメリカの手下)の東アジアにおける影響力の再建、②日米同盟への亀裂が入ることの未然の防止という二重の意味で重要な課題となっている。
①については、東アジアの成長という世界構造の変化が、この地域に対する日本の加害にあらためて光をあてる原動力となっている。
他方、産経紙は新たな史料の意義を論じているが、仮に内容が紹介されたとおりであったとしても、民間業者が人身売買で手にいれた女性たちを、軍の管理のもとに南方に「輸送」し、さらに「慰安所」に閉じ込めている。
その軍の行為の違法性は明らかではないか。
さらに「加藤談話」「河野談話」ともに、「慰安婦」徴募の担当者を軍が選任していた史料の存在を認めているが、仮にこのケースも同様であるとすれば、軍は人身売買そのものにも直接加担していたことになる。
慰安婦決議案、米下院外交委に今月中の奇襲上程も(東亜日報、5月12日)
米国下院に提出されている日本軍慰安婦決議案に対する支持署名を行った議員が117人を記録し、今月中に下院外交委員会で処理される可能性が高まっている。
ニューヨーク・ニュージャージー韓国人有権者センター(金ドンソク所長)などの韓国人団体によると、マイケル・ホンダ議員が1月31日に提出した決議案121号への支持署名者として下院事務局に登録した連邦下院議員が10日午後(現地時間)現在、117人に増えた。
韓国人団体では現在、追加で7人の議員たちから支持署名への約束を取り付けた状態で、21日ごろ、署名議員数は目標値の120人を上回るものと見られる。
下院外交委員会のトム・ラントス委員長室では、これまで支持署名議員が120人以上なら、外交委への上程を本格的に推進すると明らかにした。
昨年、エバンス議員が提出した決議案の場合、常任委員長だったヘンリー・ハイド議員室が日本側の反対ロビーを憂慮して、決議案上程方針を採決二日前まで極秘に付したことを勘案すれば、今回も奇襲上程する可能性を排除できない。
いっぽう、加藤良三在米日本大使がラントス委員長との面談を粘り強く求めているなど、日本も最後のロビー攻勢に乗り出している。加藤大使は先週、ラントス委員長に面談を求めたものの、受け入れられなかった。日本大使館側では、11日、再びラントス委員長との面談を推進している。
米下院は慰安婦決議案を人権委員会やアジア太平洋小委員会で別途に取り扱わないことを決定した。関連小委員会での議論の過程を経なくてすむことになり、それだけ決議案の処理にかかる時間や手続きが短縮されたことになる。
「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」(産経新聞、5月12日)
【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。
報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。
この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。
報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。
同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。
このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。
報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。
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