10月27日は、9時30分起床の朝であった。
相方が、マンションの「文化祭」に出かけるあいだに、
新参を朝寝に落とし込み、
午後の企画のメモをつくる。
どうしたわけか、これの印刷がうまくいかず、
何度目かの試みでようやくなんとかなってくれる。
夕べのちゃんこ鍋の残りにラーメンを放り込み、
昼は一族3人でゾゾゾゾゾの時間となる。
1時すぎには外に出る。
JR「加島」から「西宮」へ、大学へ。
車中「余裕でインドの人」のはずであったが、
交通事情が悪く、なぜかギリギリになってしまう。
2時から学園祭での3年ゼミ講演企画
「この目で見て考えた戦争と『慰安婦』問題」である。
ところが、学生たちが接続してくれた
研究室のパソコンの調子が悪いらしく、
プロジェクターに情報がとんでくれない。
結局、別のパソコンを利用して、
講演開始となったのは2時30分。
お待たせしてしまったみなさん、
まったく申し訳ありませんでした。
「『慰安婦』問題入門」を、
レジュメにそって、こちらが15分ほど話していく。
あとは学生たちにお任せである。
50人ほどが入る教室で、
外のいろんな音とたたかいながらの話である。
「ハルモニの戦争はまだ終わっていない」と書いたTシャツの紹介。
映像をキレイに見るために、教室の照明は落とされている。
韓国へもっていく横幕を作成している学生たちの姿。
写真はスクリーンにではなく、
大型テレビのような機械にうつされている。
「ワルモノに向かって辞任を表明する安倍首相」。
9月12日午後、昼食のために入った食堂での貴重な写真である。
学生たちがもっていたものを、
今日、はじめて見せてもらった。
もちろん、ただちにパクッていく。
結局、学生全員がこの場で発言を行うこととなった。
ゼミの場では見ることのできない、
学生たちの顔と声がある。
「かつて日本人が犯した罪を、日本人である私たちが
しっかり受け止めなければならない。
それが平和な未来をつくることにつながっていく」。
「問題に正面から向き合おうとしない
大人社会に影響が与えられるようになりたい」。
「戦争と今もなおたたかっているハルモニの後ろ姿を見て、
何もしないではいられないと思った」。
身近な人達との意見の相違や葛藤の様子も語られる。
つくづく、学生たちは自分の力で育つものだと思う。
「教え込む」のでなく、
「みずから考えずにおれない環境」においてやること。
それこそが、この年代の人間を教育する者の
仕事のほとんどなのだろう。
参加してくださった何人かの大人の方が発言してくださる。
学生たちへの期待の言葉がつづく。
おしまいには、
「Tシャツにも横幕にもハングルのスペルの誤りがある」
という、朝鮮語のF先生の言葉が笑いを誘った。
9月の旅行からのわずか1ケ月のあいだに、
学生たちは、自立の度合いを着実に高めているようである。
予定時間を超えて、4時20分の終了となる。
遠く岡山から参加していただいたSさんとも、
仕事の依頼を受けつつ、話をさせていただく。
同行してくれた小学生の娘さんには、
企画のはじまる時に、
チョコレートやビスケットをプレゼントするが、
企画が終わるときには、逆に、新参へのプレゼントをいただいてしまう。
今夜は「京橋」の卒業生の店「わさび」にも顔を出してくれるという。
まったく、ありがたいことである。
教室を出ると、ある学生が「私たちの展示を見てほしい」と
声をかけてくる。
そういわれて「イヤだ」というわけにはいかない。
「慰安婦」問題資料集等、大荷物をかかえながら、
展示のテーマとなっている3人の女性の生き方等、
あれこれ話を交わしてみる。
様々な学生たちが、それぞれなりの思いをもって、
いろいろな取り組みをしているものである。
研究室にもどると5時ちょうど。
4時30分から「森之宮」でおこなわている研究会に、
「いまからではどうにもなりません」と欠席の連絡をする。
4時前に終わるようならと思っていたのだが。
学祭実行委員会からもらったお土産もふくめて、
あれこれをリュックに放り込み、
JR「西宮」から「加島」にもどる。
車中「インドの人」となる。
6時すぎには、一族3人で夕食をとり、
気力・体力をもてあます新参の相手をしていく。
昼の「吉本新喜劇」特番をビデオでながめるが、
すべてを見ないうちにウトウト状態に落ちてしまう。
明日は、四国へフラフラと飛ぶ。
あとは学内仕事の処理である。
コメント