1月15日は、9時30分起床の朝であった。
いつもどおりのリズムである。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
メールをチェック、
10時30分には、外に出る。
JR「加島」から「西宮」へ、
車中「授業年度末まとめの人」となって移動する。
まずはキャリアデザインプログラム関係の打ち合わせ、
そして、別件でのキャリア関連の相談事。
さらに事務室を経由し、
研究室で「授業年度末まとめの人」を継続する。
オニギリをパクつきながら、
当座の原稿にかかわって「信用論の人」にもなってみる。
われながら個人的蓄積の乏しい領域で、
ひどくつまずきながらの学びとなる。
1時20分から「現代社会と経済学」、
3時00分から「比較経済論」をやっていく。
いずれにあってもレポート課題を提起する。
終了後、レポートの提出場所について、
教務課、文学部事務室と小さな相談。
研究室にもどると、
半年前に中国に留学したNしょんがいる。
中国のプリッツだとか、縁起物だとか、
「南京大虐殺」の映像だとか、
多角的なお土産をもらっていく。
しばらく小仕事をして、
5時30分には大学を出る。
西宮北口の居酒屋「磯浜」へ。
中国の大学はすでに「春休み」で、
昨日、日本に一時帰国したばかり。
しばらく日本ですごし、
ベトナムをまわって、中国へ帰る予定であるらしい。
中国の友達に日本の食文化を伝えるのだと、
さかんに食べ物、湯飲み、
店のノレンなどをカメラにおさめる。
中国の言葉や文化についての学びを、
さらにどう充実させ、
長期的な人生にどのように活かしていくべきか。
そんな相談事に、
「迷った時は、おもしろい方に転べ」の持論を示す。
あわせて、この半年間の日本の政治状況なども話してみる。
「ともかく米軍への給油がすべての柱だった」と。
中国での食生活、犬の干物、食材としての針ネズミ、
路上に見る貧困、メディアの情報統制、
日中戦争への認識など、
中国体験のあれこれがリアルで面白い。
中国では毎日まるで自由なのに、
日本では、あいかわらずの門限人生らしく、
8時30分のおひらきとする。
小さくはあるが、
日中の架け橋1ケ誕生の見通しである。
JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「新聞ながめの人」となって移動する。
9時ちょうどの帰宅であった。
本日誕生日のA子と、成人式のB男にメールをガッシン。
ガシャガシャするうちに
眠りかけの新参を起こしてしまい、
あらためて寝かせにかかるが、
先に寝たのはこちらであった。
目覚めれば、深夜の2時である。
メールをひらくと、
96年度卒のゼミ1期生から「近況報告」がある。
子どもがすでに小学生だという。
こちらのオッサン度がすすむハズである。
さて、いまからの深夜をどうすごしたものか。
まったくもってボロカスリズム。
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