チドリハルモニの死去にかかわるメールが、「ナヌムの家」の村山さんから届きました。
「多くの方に伝えてください」とのことですので、ここに掲載します。
メールは「悲しいお知らせ」「悲しいお知らせ。つづき。」の2つにわけて届けられました。
2つのメールのあいだは点線で区切ってあります。
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ナヌムより一兵です。
連絡ありがとうございます。お久しぶりです。
2008年も宜しくお願いします。
さっそくメールへの返信をしたいのですが、
訃報をお伝えしなければ、なりません。
メールへの返信は明日します。すみません。
一昨日にチドリハルモニの訃報をMLなどで流したものです。
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あんにょんはせよ。
「ナヌムの家」より歴史館研究員の村山一兵です。
悲しいお知らせです。
今日午後15時24分にチドリハルモニが亡くなりました。
2007年2月6日(水)でした。85歳。
陰暦では12月30日。明日がお正月で86歳になるはずでした。
16時半くらいに、ナヌムの看護士さんへ
ハルモニが危篤だと連絡がありました。
病院へかけつけた所、病院職員やナヌムの看護士さんに見取られる中
15時24分に息を引き取ったそうです。
最後は安らかな表情だったそうです。
ナヌムの僧侶と職員とともに、私も病院へ来ています。
キョンギド ヤンピョン郡 龍門(ヨンムン)面にある
楊平(ヤンピョン)孝(ヒョ)病院にて、明日以降にお葬式になります。
明日、7日(木)午前10時からお棺にハルモニをします。
明後日、8日(金)午前9時に火葬へ出発します。
カンウォンドのインジェという所にある火葬場を予定しています。
参席されたい方は、
+82-(0)10-4229-1980 まで。
チドリハルモニは、
1923年6月5日の生まれで、キョンサン道慶州の生まれです。
中国の石門子の「慰安所」にて性的被害にあい、
解放後も中国で生活せざるを得ず、2000年に韓国に帰りました。
ナヌムには2000年から7年間生活したわけです。
息子さんと娘さんが韓国にて働いており、
もう病院には娘さんが来てハルモにのそばにいます。
チドリハルモニの思い出など、みなさんに伝えたいのですが、
私自身もまだ気持ちが整理できていないのと、
まずは一報すべきと、メールをします。
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ひきつづきです。
多くの方に伝えてください。
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つづきです。池○伊(チドリ)ハルモニ ( ○→ 「石」の下に「乙」を書きます )
のことを書きます。
昨日孝病院へ面会に行ったばかりでした。
ムンピルギハルモニとキムグンヂャハルモニも同じ病院に入院しています。
昨日お会いしたときは、他のハルモニたちと一緒に面会しました。
少しこちらの顔を見られ、手を握ってくれていたり
食事を食べたほうがいいと何度もいうと、
指を差し出して、いらないと言うかのように、口の前で横に振ってらっしゃいました。
何週間も食事をなさらず、ここ2週間ほどはお粥も口にしない日々が続き
病院で点滴は打っていましたが、
昨日の話では、牛乳などは少し口にふくむと職員が言っていました。
韓国はお正月のため 他にハルモニたちの中でも娘さんや息子さんの家に行った
ハルモニたちが多い中、職員もお正月で田舎や実家に帰るなか、
さびしく逝ってしまいました。
孝病院に入院しているハルモニたち、そしてナヌムに残っているハルモニたち
チドリハルモニがこの世を去られたことが 大きな衝撃だと思います。。
来訪者を遠くから眺めて、男性を見つけると、「彼」が来たと親指を立てるハルモニ。機嫌がいいときは、部屋からゆったりとしたリズムのアリランが聞こえてきたハルモニ。「彼」に言われたと真っ白な白髪を、黒く染めて嬉しそうに日向ぼっこしていたハルモニ。チドリハルモニの部屋のにおいが懐かしく、涙が出ます。。
思い出は浮かんではきえていきますが、
チドリハルモニの生きてきたことを、刻みたいと思います。
まだ気持ちも整理できません・・・
お正月の前日。800回の水曜集会の一週間前。
2月6日午後15時24分
85歳でした。
明日、7日にハルモニにお別れをして
8日に送り出します。
病院より
(乱筆、長文ですみません)
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