9月4日は、10時起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
この夏に録画しておいた
各種「戦争映像ながめの人」となっていく。
「その時歴史が動いた シリーズ日本降伏
前編 焦土に玉音が響いた-8月15日・終戦決定までの道程」
敗戦受諾を目前にして、
政府は天皇制の継続のみを
戦後への最大課題と位置づけていく。
「臣民」の命はどこにも登場しない。
「NNNドキュメント08 アリラン特攻兵 日本と挑戦半島の狭間で」
戦闘機をつかった特攻で約3900人が死んでいる。
そのうち17人は植民地朝鮮の若者たち。
彼らはどのような思いで、死んでいったのか。
「親日派」をめぐる議論が深まるなかで
韓国の遺族等がこれを探る。
「ETV特集 シリーズBC級戦犯 第2回 ”罪”に向き合う時」
捕虜虐待や住民虐殺などの罪で
約5700人が裁かれた。
8割近くが有罪判決を受け、934人が処刑された。
独立したインドネシアから巣鴨にもどった受刑者たちは、
獄中のラジオを通じて、日本再軍備のニュースを聞く。
米軍の指示によって、
獄外の元将校たちが集結していく。
彼らこそが、自分たちに罪を強制した張本人ではないのか。
あの戦争はなんだったのか、戦後の日本はどうあるべきか。
全身を内側からかきむしるような、
苦悩の探求がつづく。
昼食の後、午後は、『We Love Hyogo』part 2の準備である。
『9条守れのHyogoをつくろう』の作成に向け、
出版社や座談会出席者への依頼文書をつくっていく。
3時30分には、外に出る。
残念ながら「ちょっと歩いてみるか作戦」は展開できず。
JR「加島」から「尼崎」へ、
車中「チンシ・チンカリの人」となって移動する。
(チンシは『賃労働と資本』、チンカリは『賃金・価格・利潤』の略こと)。
若い人は、きっと聞いたことがないのだろうが。
JR「尼崎で、4年ゼミのMマ・Eへぃ・Nしょんと合流。
いつもの喫茶店に入り、
「慰安婦」学生本の最終ゲラなおしをやっていく。
これを本当に、本当に最後とする。
6時すぎには、近くの沖縄居酒屋に場所をうつし、
ここで、Nしょんの卒論相談を受けていく。
日本のマスコミが中国の「反日教育」と呼ぶものを、
中国の教科書自体にあたって確認するもの。
素材は非常におもしろい。
だが、30分程度で、互いに泡盛の力の前に敗退する。
あとは、4人で、ただただ
社会派ネタでの雑談を積み重ねていく。
亀石、二足歩行のサル、
こわれる自民党、家庭内革命、
中国の戦後外交、猫、やぎ、鹿、馬子、入鹿……。
途中、T内さんから「京橋の『山葵』にきている」と
メールが入る。
9時すぎには、西遠方(青野ヶ原周辺)に
Nしょん・Eへぃが帰っていき、
こちらはMマと「京橋」へ移動。
卒業生が経営する「山葵」だが、
前にここへ来たのは、去年の秋か。
焼酎「明るい農村」に驚くが、
この名は、すでに有名らしい。
11時には店を出て、JR「京橋」でMマと解散。
JR「京橋」から「加島」へ、
車中「チンシ・チンカリの人」となって帰宅する。
学生本の「あとがき」直しを、
Mマ・Eへぃにガッシンし、
多方面的充実の1日を、
グデエッと横になって終了していく。
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