4月26日(日)は、7時半起床の朝であった。
ベッドの上でパソコンをながめ、
いつものカシャカシャの人となっていく。
強い味方がついてくれたので、
原水禁講演は引き受けることにする。
学びは、知事選の後となる。
卒業生から相談が1つ。
10時ちょうどには、宿を出る。
歩くと、すぐに原爆ドームが見えてくる。
平和公園を歩くのは何年ぶりか。
原爆ドームは、そう大きな建物ではない。
「広島県物産陳列館」から
「広島県立商品陳列所」と改称され、
被爆時には「広島県産業奨励館」だった。
まわりにはキレイな花が咲いている。
この建物の真上600メートルでの爆発だった。
広島平和記念資料館に入ってみる。
ビデオシアターがあったので、
そちらにまわって2本を見る。
「ヒロシマ・ナガサキ-核戦争のもたらすもの」(82年)
「ヒロシマ・母たちの祈り」(90年)。
数人の若い女性が、
小さな悲鳴をあげながら見入っていた。
ミュージアム・ショップにまわって、
本と映像を買ってみる。
さっそく授業につかってみたい。
外には、何ごともない日常がある。
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)には、
献花をする若い人の姿があり、
近くには、小さな子どもに被爆を教える若い父親の姿もあった。
まっすぐ向こうに、原爆ドームが見えている。
12時すぎには、公園を出る。
たかの橋商店街に移動し、
珈琲館でサンドイッチを食べていく。
商店街では「ひろしま給食まつり」が行われ、
太鼓をたたく子どもたちの
元気な声が響いてくる。
来週のパワポをカシャカシャつくり、
1時半には、目の前の
広島市女性教育センターに入り込む。
以前、JR「広島」2Fで飲んだ、
労学協仲間のなつかしい顔がある。
そして、総合社会福祉研究所のI倉理事長
がおられて驚かされる。
なるほど、塾長ということであったのか。
2時から、広島社会保障塾での講演である。
テーマは「『構造改革』の破綻と社会保障の財源」。
パワポをふりまわして、10分超過。
労連事務局長の雇用問題についての講演もある。
マツダ、シャープという企業名が、
話に何度も登場する。
終了後の質問は、次のよう。
「年越し派遣村になぜ機動隊が出なかったか」
「集中的な取り組み(派遣村)と継続的な取り組みの関係」
「生活保護水準以下の生活者に
生保申請をよびかける取り組みが必要では」
「『構造改革』が国をダメにすることに財界はなぜ気がつかないのか」
それぞれに面白いテーマである。
4時半には終了となり、
数人のメンバーと近くの喫茶店に移動する。
雇用情勢の悪化と介護職希望者増の反比例、
広島の政治、組合青年部の関心、
学ぶ取り組みの課題など、
あれやこれやを話し合う。
6時半には、店を出る。
JR「広島」へ送っていただき、
7時すぎの新幹線に乗る。
次は、ボツボツ「新神戸」。
東へ西へと、お疲れ様でした。日曜日の帰り道は、どこかですれ違っていますね。
私も、いとしのヤンさんに会いに吹田まで出かけていました。T塚先生にはっぱを掛けられ、阪大や立命の若い学生さんに勇気をもらい、T石さんと飲み、在日の青年の「鎮魂歌」に胸打たれ、充実した時間でした。6月の「デビュー」に向けて、エネルギーを貰って帰りました。
余談ですが、「爆心地」は、原爆ドームから東南方向へ約150mほどの「島外科」病院上空、と現在では言われています。
(しんぶん赤旗2002/7/29~8/8.社史が語る戦争・原爆「島病院」より)
投稿情報: S本Y郎 | 2009/04/27 12:00
そうですか。吹田にこられていましたか。T石さんは連チャンですね。「爆心地」の件、了解しました。この夏に原水禁関係の講演を引き受けてしまい、基礎知識からあれこれを積み上げていかねばならない状況です。
投稿情報: walumono | 2009/04/27 12:38