6月17日、夜9時には、選挙事務所を出る。
元町へ繰り出し、ホルモンを焼く。
そして、終盤の劇的一手、
「科学」の面白さ、生きるということなどを、
あれこれ自由に話し合う。
10時30分には、おひらきとする。
JR「元町」から「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「雑談の人」から「科学の人」へ、
「経哲の人」へと変態しながら移動する。
面白く読み終えた
「科学」については、
①自分を既存の学問の枠にはめないこと、
②自分の仕事の質を反省すること、
の2つについて考えさせられる。
①については、まったく合点、納得。
②については、
秋までに、時間をかけて
ゆっくり考えてみたい。
認識というものの深みの問題である。
11時すぎの帰宅であった。
録画で、いきなり「太宰治」である。
いきなり「人間失格」である。
わが若き、鬱病時代には、
くりかえし読んだ本である。
独特の「匂い」を感じる本である。
「こんなものを、読んでいてはいかん」と
決意して、捨てたこともあるのだが、
そう間をあけずに、
また、同じものを買っていた。
魔物のような本であった。
本日の万歩計は、4816歩。
明日は、我的早朝決起之朝となる。
睡眠不足の1日である。
きのう、たまたまですが、太宰の番組みました。
ものすごく興味を引かれ、「人間失格」読んでみたいなぁ、と思った次第です。
太宰を支えた妻もすごいなと。
投稿情報: 長久 | 2009/06/18 08:44
番組では、太宰は芥川になりたかったとありましたが、その芥川については評論『敗北の文学』がありますね。あわせて考えてみると、太宰の生き方と生きている社会に対するとらえ方の制約が、案外、深くかかわっているのが見えてくるかも知れません。きっと、そういう検討もあるのでしょうね。
投稿情報: walumono | 2009/06/18 11:10
昨日は神戸大学の方と飲んでいたので、そのような番組があったことを知りませんでした。
野球少年・青年だった私が、書物を読むようになったきっかけは、浪人中の夏に『人間失格』を読んだことでした。頭をガツンとやられて、彼の全集を片端から読みあさり、その師である井伏鱒二、友人の檀一雄、坂口安吾、太宰の心酔したシェークスピアなどに範囲をひろげて、いつまでも読書していました。
挙句に太宰の『津軽』をたどるように旅に出て、その生家にも2度ほど宿泊しました(最近まで旅館業を営んでいたので)。そして三鷹禅林寺の墓参にも・・・。
それゆえ大学時代は、太宰に関する研究書もよく読んでいました。
今でも作品をたまに読み返すと、自身の非才を痛感して暗くなります。
家人には「太宰の文才と自分のそれを比べるなんて、バカじゃないの。身の程知らずもいいとこだワ。」と呆れられていますが・・・。
投稿情報: T中 | 2009/06/18 14:00
ほう、人に歴史ありですね。一昔前には、太宰研究の第一人者が、同じ学科におられたのですが。
投稿情報: walumono | 2009/06/18 14:48