6月22日、夜9時ちょうどには大学を出る。
JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「中国の人」となって移動する。
コンビニに寄って、9時40分の帰宅であった。
肉野菜炒めをつくり、
ゴハンにキムチをのせてパクパクパク。
NHK「”集団自決”戦後64年の告白-沖縄・渡嘉敷島」を見る。
「鬼畜米獣」との教育、配られた手榴弾、
自決への号令、たくさんの不発弾、
若い兄弟が両親、弟妹を殺し、
自分たちは、米軍に突撃しよう
としながら生き残る。
その戦後の生涯は悲惨である。
高齢のためカラダの自由もきかなくなり、
福祉施設に入りながら、
「今日が3月28日」だと教えられると、
「(渡嘉敷島の)慰霊の日ですね」
「国のため、国のためというが」
「人間が死んで、何が国のためか」。
吐き捨てるように、そう口にする。
この苦悩を背負わずにおれない人生を、
再びつくることがあってはならない。
本日の万歩計は、3793歩。
明日は、組合、授業、憲法県政。
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