7月5日(日)は、9時半起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
メールをカシャカシャやるうちに、
新参と相方は、一足先に「尼崎」へ出る。
10時半には、こちらも外へ。
合流すれば、新参は、すでにチッチャイ電車
の運転席に座っていた。
本日の運転担当は、ちょっと接触の悪い阪急電車。
しかし、あまり気にはならないらしい。
その後、同じく、電車が走るレストランへ。
新参は、サラダやハンバーグをモリモリ食べる。
こちらは、コーヒー1杯で電車をながめる。
12時半には、「加島」にもどる。
納豆ゴハンをブブブブブ。
あれこれの用意をして、1時半には外に出る。
相方と新参は、実家にもどり、
こちらはJR「加島」から「六甲道」へ、
車中「マルクス原稿の人」となって移動する。
2時すぎには、灘民商へ。
しばし「マルクス原稿の人」となり、
2時40分には、労連のT川さんと合流する。
郵産労のK跡さん運転のクルマで、
棄権防止活動にとりくむ
各地の事務所を激励してまわる。
神戸市内から、西宮へ、尼崎へ、伊丹へ、
西から東へとすすんでいく。
「いまも民主党支持だったいう人が・・・・」。
たくさんの人が、思いと力をあわせた取り組みである。
そのことを、あらためて実感させられる。
時間切れで、宝塚まではまわることができず、
グイッと神戸元町の選挙事務所にもどっていく。
車中「マルクス原稿の人」となってみる。
6時半の事務所帰還であった。
選挙事務所長のK部さんと、
近くの中華料理屋に入り、
今夜の集まりと今後の相談などを行っていく。
8時40分、この間の取り組みが、
パワーポイントで紹介される。
あの日、あの時の写真をたくさんながめ、
「良く闘った」との実感を新たにする。
候補者として先頭に立って闘った
田中耕太郎さんも会場に入り、
大きな拍手、花束で迎えられる。
会場中央には、若い世代が陣取っている。
この事務所での最後の集会である。
「良く攻めた選挙だった」「論戦では圧倒した」
「相手陣営は逃げの一手」「選挙事務所への激励も多かった」
「地域組織も広がった」
「田中候補への投票は井戸県政への批判票」
「井戸氏は7月1日からの医療費助成カットを中止せよ」。
すでに、井戸氏「当確」が出ている中で、
冒頭、代表幹事として話をさせてもらう。
つづいて、田中候補が、闘い終えての感想と
今後へ向けた決意を語る。
若い世代の目に涙がうかぶ。
記者からの質問にこたえる中で、
「兵庫県知事選の争点が明らかにできないマスコミ」
といった話題も浮き上がる。
記者自身の口から、「静岡とは対決の構図がちがうから」
という声も出る。
「自民と民主が本当に対決するものでないことは、
兵庫のオール与党体制で明白ではないか」と、
田中さんにつづいて、思わず、こちらも一言発言。
政治は、看板でなく、中身で判断するものである。
その目を、しっかり養ってほしい。
9時すぎには、終了とする。
田中さんは、しばらく記者にかこまれていた。
テレビの番組は、井戸県政の課題ではなく
その成果のみを空疎な言葉で語っていく。
田中候補が県政のどこを批判したか
については何の紹介もない。
自立したジャーナリズムの精神がどこにもない。
若いメンバーたちが、悔しそうに帰っていく。
「まだ、取り組みはこれからだから」
新しくつながった顔たちに、
激励のことばをかけていく。
10時すぎには事務所のシャッターを降ろし、
いつもの3人組で元町へ。
開票状況を気にしながら、
「おつかれさまでした」のビールとする。
「ああ、悔しいなあ」
「さて、これからをどうするか」
「地域組織の位置づけを明確にする規約の改定がいる」
「十分に納得のいく総括と、到達点の正確な記録も」
「会を日常的な運動団体として成長させる」
「それには、腰のすわった適切な人材配置が」
「明日は朝8時から街頭宣伝」
「次への勇気をあたえる文書を急いで」・・・。
11時半のおひらきとする。
JR「元町」から「尼崎」へ、「加島」、
車中「雑談の人」から「文書メモの人」となって移動する。
12時半の帰宅であった。
開票結果をネットでながめ、
思いつくことを、ブログにいくつか書き込んでいく。
本日の万歩計は、1万2751歩。
あちこち、ずいぶん歩いたらしい。
明日は、出発の一歩をつくる文書書きから。
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