3月6日、5時すぎから、
ダラリ、ダラリと野菜を食べ、
30分ほどウトウトしてから、
今度はキムチもピリカラ食べていく。
カプサイシン効果のためか、
アタマとカラダがスッキリし、
7時半には、パソコン前に立ち戻る。
「資本主義発展段階レジュメの人」となっていく。
これまでの自分の文章から
関連箇所を抜き出して、
これに批判的な目を向ける。
また、この間に読んできた、
いくつかの文献から得た問題意識もそえていく。
作業の基本は、過去の自分の乗り越えである。
資本主義の「自生的」な発展の歴史をもつのは、
主としてかつての植民地保有国。
世界の多くの国々は、
軍事的・政治的外圧の歴史を一時期にもつ。
その中で、「自生的」歴史を対象とした
資本主義発展の典型
あるいは一般理論がもつ意義はどのようか。
他方、「先進国」に限ったところで、
独占資本主義の次が国家独占資本主義というほどに、
独占資本主義には自立した歴史の一時期が
はたしてあったといえるだろうか。
ブハーリンによる国家資本主義への注目は、
1910年代のことである。
また、戦後の脱植民地化・議会制民主主義のもとにある
国家独占資本主義を、
「経済形態」の同一性だけを理由に、
それ以前の時期と同一の段階としていいものか。
国家独占主義自体の発展をどうとらえるかという問題であり、
経済の発展と社会の発展との区別と関連
という問題でもある。
資本主義の特殊な発展段階を生みだす
基本矛盾の展開は、
資本主義を乗り越えようとする政治権力の確立までではなく、
そのもとでの長い「過渡期」を射程にふくまねば。
ごく初歩的な整理だが、
あらたな課題がいくつもうかぶ。
とりあえずは、あれやこれやと、
思いつくところを、ならべてみる。
11時には、再び、すっかり力が抜ける。
本日の万歩計は、3434歩。
明日は、わがホラを吹かせてもらう、研究会の夜となる。
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