以下は、訪韓旅行の最終日(9月9日)に、学生たちが行った、旅行全体を振り返っての感想交流での発言です。
〔H・E〕
日本での学びとのいちばんの違いは、自分の足でこちらに来て、ハルモニとふれあい、お話しし、(ガイドの)李さんとともお話しし、水曜集会でもいろんな人とあえたこと。
人と人との関係について考えさせられている。
ゼミでは、テキストや映像などをつかい、あたまの中で順序立てて考えてきたが、今回の体験はそれとは違った種類のものだった。
水曜集会では、自分の感情がおさえきれずに泣いてしまった。
それぞれの国の歴史には、いろいろな背景があるが、テキストで学ぶだけでなく、人と接することが大切だと思った。
人から人に伝えることが大切だと思った。自分も伝える人になりたい。
〔K・Y〕
ゼミでたくさん映像を見て、ハルモニをテレビの中の人のように思っていた。
しかし、会ってみると、自分たちのおばあちゃんと変わらない、普通のくらしをしている人だった。
朝鮮からつれてこられた人たちが、いまも、日本にたくさんいることに複雑な思いがする。
「慰安婦」問題は重要だが、それが日本が行った加害の一部にすぎないこともわかった。
西大門刑務所で亡くなってしまった人には、もう謝罪できないが、いま生きているハルモニたちのために、謝罪ができればと思う。
自分にできることをしたい。
それが日韓関係の改善につながるのではないかと思う。
〔K・N〕
日本軍「慰安婦」歴史館では、再現された「慰安所」にすごく緊張し、恐怖を感じた。
あそこに閉じ込められてレイプされたハルモニたちは、どんなに怖かったか。
そこがいちばん印象的だった。
実際に、ハルモニたちを目の前にすると、何も話せなくなってしまった。
言葉がわからないことも、自分で残念で、もどかしく思った。
〔K・Y〕
本や映像で学んで、ハルモニはどこか遠い人というイメージがあった。
でも、短い時間だけれど、イオクソン・ハルモニが親しく話してくれた。
「100年もあったのに、日本は何をしていたのか」
「いまのままだと、また戦争がくりかえされるかも」と。
若い世代にキチンと伝えなければ。
歴史館に再現された「慰安所」は、本当に怖かった。
二度とくりかえされないように、何かをしたい。
水曜集会では、横断幕をもって立っていることしかできなかったが、何かが伝わったのだろうか。
もっと、言葉ができればと思った。
西大門刑務所では、戦争の悲惨をあらためて感じた。
学んだことを1人でも多くの人に伝えていきたい。
〔A・H〕
ハルモニのまとまった証言は聞けなかったが、リビングにいったらお話しできた。
笑ってくれたし、勉強しろともいってくれた。
加害国の若者に対して、複雑な気持ちだろうと思う。
それでも話をしてくれて、刀傷も見せてくれた。
「慰安所」を管理する軍のルールの資料があった。
「接客」とか「(慰安)可」とか「不可」とか、「慰安所」の存在自体を問題にする認識はまったくない。
これから、どうやって伝えていくのか、方法をよく考えないと。
〔F・R〕
ゼミで勉強して、それなりにわかっているつもりだったが、歴史館を見て、ハルモニの話を聞いて、思っていたのと全然ちがう衝撃があった。
いちばんの衝撃は、再現された「慰安所」の部屋。
あんなところに閉じ込められていたハルモニたちは、どんな気持ちだったか。
去年1年間、韓国からの留学生と仲良くしていた。
歴史問題についてきいたら「若い人は気にしてない」といっていた。
でも、水曜集会で日本政府に抗議しながら、複雑な思いがあった。
ハルモニたちは、過去の出来事にもかかわらず、やさしく接してくれてビックリした。
ここで感じたことを忘れず、アジアを蔑視する文化をこえるために、伝えていけたらいいなと思う。
〔M・A〕
歴史「慰安婦」問題について、何が問題なのかをあらためて整理することができた。
女性への差別、朝鮮人への差別の重要さに気づいた。
今回、肌で感じたことが、すごく多かった。
ふれあいの中で、ハルモニは普通の1人の女性だと思った。
水曜集会では発言をした。
悩んだけど、発言してよかったと思っている。
伝わったかどうかはわからないけれど、大切なのはこれから。
韓国のおじいちゃん、おばあちゃんは、植民地時代に大変な苦痛を受けたんだなと、街の中を歩きながら、そう思っていた。
「ナヌムの家」では、夜、自分のおじいちゃん、おばあちゃんが「慰安婦」になったり、「慰安所」にかよったりしたかもしれないと話し合った。
「慰安婦」歴史館は、もっとじっくり見たかった。何回も行きたいと思う。
若者か何をすべきかは、もっと考えたい。
これからどうするかをちゃんと考えたい。
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