8月25日(木)は、9時すぎ起床の朝であった。
青汁野菜ジュースをゴキュリとやって、
「メールカシャカシャの人」となっていく。
学生、韓国、教科書、講演、
同窓会、組合、県政など。
つづいて、たまった郵便物を片づけていく。
昼は、徳島ラーメンをゾゾゾゾゾ。
1時前には、外に出る。
ビン、カン、ペットボトルを所定の場所に出し、
JR「加島」から「尼崎」へ、
改札前で、4年ゼミ生と合流する。
近くの喫茶店で、就職活動の相談である。
あれこれのアドバイスをした後、
「推薦状」をサクサク書いていく。
2時半には、「加島」にもどり、
これを、プリントアウト。
封筒にいれて、学生クンに渡していく。
3時すぎには、再び外に出て、
JR「加島」から「尼崎」へ、「高槻」へ、「西大路」へ、
車中「次の推薦状書きの人」となって移動する。
5時前には、子どもたちのところに到着。
「推薦状」を書き終えて、とある卒業生のところへ送信。
6時半には、H子・F生と、いつもの焼き肉屋へ。
「原水禁大会に行ってきた」
「昨日は、福井の原発を見学してきた」
「明日から二度目の東北ボランティア」・・・。
なかなか、にぎやかな人生である。
近くの銭湯は、入り口の屋根だけに、
昔の趣を残している。
10時には、京都を出て、西へともどる。
車中「被爆者医療の人」となっての移動であり、
11時ちょうどの帰宅となった。
明日は、ひさしぶりに大学に出て、
夜は、卒業生との相談事となっていく。
明後日の学習会の準備もせねば。
石川先生、質問です!
この最後の銭湯の写真は、もしや北区大将軍の「椿湯」ではありませんか?
私の下宿から数分のところにあった、ものすごく懐かしい風景なのですが・・・・。
投稿情報: 明子 | 2011/08/31 17:51
そうです。府立体育館の近くです。たしかに立命人が、ワンサカ住んでいたあたりだと思います。
投稿情報: walumono | 2011/08/31 18:20
うわあ・・・・懐かしい!当時はお世話になっておりました。
まだ、頑張っておられるのですね。
もう、佐賀市内では銭湯はなくなってしまいました。
最近は学生下宿もお風呂・シャワーは当たり前だと思いますが、私は3人で1軒の家を間借りするタイプの下宿でしたし、台所・トイレ・洗濯機は共有でした。
しかも、ちゃっかり、冷蔵庫まで大型を置いていた下の部屋の方のを「間借り」してました。
テレビなし、エアコンも扇風機もなし、ストーブなし(コタツのみ)という超エコな8畳間の2階部屋がなつかしい・・・・。
投稿情報: 明子 | 2011/09/01 00:44