大阪市職員に実名での回答を義務づけた
「労使関係についての調査」が話題になっている。
さすがに、これはヒドイねえ。
大阪市役所の労働組合が、
あまりほめられたものじゃないことは、
以前から、かなり広く知られていたこと。
しかし、その問題点を指摘することと、
組合活動を、雇用者が力で制限するのは別のこと。
先日「議会」の歴史に関する書き物をして、
ブルジョア革命後の人間社会の歴史が、
「平等と人権」をキーワードに
発展してきたことを、
あらためて確認したところ。
「人間の権利に、人種や性別、貧富や出身地等、
いかなる理由でも格差をつけてはいけない」。
17世紀からの長い時間をかけて、
人間社会は、そうした思想を、次第次第に身につけてきた。
考えたいのは、その社会の成長の中に、
なぜ労働組合は誕生し、成長しえたのかということ。
それは、おそらく、労働組合にも、
同じ役割が期待されたから。
労使の現実的な力関係の格差により、
労働者の「平等と人権」は、多くの場合に侵されがち。
それを防ぎ、是正するための
雇用における人権の擁護・調整装置が労働組合。
社会の多くは、そのように受け止めた。
だから、それは万人の「平等と人権」を
あたり前のこととして追求する
民主的な社会にとって、不可欠となった。
フランスの中学校の教科書には、
こんな具合に書かれているそう(コチラ)。
そもそも労働組合はどのようにして誕生し、
どういう理由で各国社会に定着し、
どのような役割の発揮が求められているか。
いま労働組合を論ずるためには、
そうした大局的な視角が必要だ。
本来、求められる社会的機能の発揮に向けて、
労働組合をいかに健全に成長させていくか。
それこそが、国民的な議論の課題なのだと考える。
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