7月30日(土)は、6時半起床の朝であった。
モーニング・コールで起こされる。
お茶とヨーグルトで、
本日の人生を立ち上げて、
ネット情報をカシャカシャカシャ。
ノロノロ動いて、8時には、
みんなでホテルを出る。
8時半には、東部の基隆駅前に到着。
ただちに、北白河宮の記念碑へ。
1874年に行われた台湾「平定」の指揮官だった。
9時半には、中正記念公園へ。
目的は、基隆港の全容を見渡すことだが、
そこにあるものが面白すぎた。
この大きさである。
下のおどける学生と比べられたし。
基隆の港。
右側の海から日本の艦船が出入りし、
左側の駅は台北につながっていた。
ここは、最初の総督府がおかれた町でもある。
10時には、忠烈祠に移動。
「秋千烈忠」は、国のために死んだ者を
決して忘れないという意味で、
日本でいえば靖国・護国神社か。
文字は「蒋介石」によるそうだが、
元は、日本時代の神社であった。
当時の狛犬が残されており、
台座には、大正8年6月の文字が。
10時40分には、橋を1本渡って
和平島(日本時代は社寮島)へ。
工事のために、中には入れず。
228事件の時には、目の前の海に、
たくさんの遺体が投げ込まれ、
家族も引き取りに名乗り出ることはできなかった。
港を離れて、街を歩く。
このあたり、昔は、沖縄人街だったらしい。
12時には、昼食の店に到着し、
「基隆青年陣戦」のみなさんと交流する。
理事長の張さん(右)は、
総統府で働いていたとのこと。
いまは自身の選挙の準備中。
左は、昨日からお世話になっている
通訳の呉さん。
学生も、交流しての感想を述べていく。
緊張がほぐれたところで、
残ったデザートをパクつく様子。
2時半には店を出て、
「陣戦」のみなさんとお別れする。
3時には、金爪石(きんかせき)に到着。
「日本時代」に、大量の金を略奪した鉱山である。
今年で開山122年。
鉱石をはこんだトロッコの線路も残る。
強い雨の中、500段ほどの階段を、
傘をさしてあがっていく。
たどりついたのは黄金神社。
建物は、すでに残っていない。
雲にかすんだ景色が見える。
山を降りると、雨があがった。
4時半にはバスに乗り込んで、
かつては、金爪石の
鉱山労働者にとっての夜の街。
それが、いまは、すっかり観光地。
長く階段を登って行き、
行き止まりの手前で右手に下る。
目の前にあらわれたのは、
「千と千尋の神隠し」で、
「湯屋」のモデルにされた
といわれるこちらのお店。
店に入って、お茶のセットを。
濡れたからだを、乾かしていく。
入口には、こんなお面が3つほど。
6時半から夕食とする。
にぎやかに食べて、しゃべって、
7時半には、店を出る。
夜の「湯屋」は、こんな具合。
7時半すぎには、バスに乗り込み、
台北市内のホテルにもどる。
9時半には、あらためて
「有志」で近くのビール屋さんへ。
お店自慢の「手作りビール」は、
ことごとく失敗に終わったらしい。
(あくまでも個人の感想です)。
もっと「地元」な店に移り、
ワンタンメンをつまみに、台湾ビール。
ようやく、のどがホッとする。
コンビニを経由して、
11時には、ホテルにもどる。
本日の万歩計は、10279歩。
明日は、台湾最南端へ。
新幹線往復の1日となっていく。
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