サンフランシスコ講和条約における日本の戦後賠償は,日本経済の復興を最優先したものとなり,結局,二国間交渉による現物賠償は,インドネシア,フィリピン,ビルマ,南ベトナムの4ケ国に対する現物賠償だけとなりました。
51年の講和会議に,日本の侵略と植民地支配がもっとも深刻な被害を与えた南北朝鮮と中国はそもそも招請されておらず,両国への戦争責任処理および国交回復の課題はその後に残された重大課題となりました。
結局,韓国とのあいだでの国交回復は65年の日韓基本条約によって果たされます。そこにいたる交渉は51年から始められ,いわゆる「久保田発言」に象徴される日本側からの植民地支配正当化発言などにより,交渉は難航をつづけます。
65年の条約締結に際しても,日本側から誠意ある謝罪の姿勢は示されず,条約の内容についても日本側が「経済協力」の名目で差し出した金銭を,韓国側が「賠償金」として受け取るという,不正常なものとなりました。
2005年1月と8月の2度にわたって,韓国政府は,この条約締結にいたる日韓会談の関係文書を公開しました。日韓関係の付け焼き刃ではない,根本からの正常化,相互理解をめざす立場からの行動です。
これに呼応して,日本国内でも,日本政府が保有する関係文書の全面公開を求める取り組みがすすめられています。「日韓会談文書・全面公開を求める会」に,その取り組みの趣旨や内容の紹介があります。また,ここには韓国政府が公開した文書の一覧や,これと「慰安婦」問題のかかわりに関する文章も掲載されています。
6月3日には神戸で関係のシンポジウムも計画されていますので,ぜひ一度,サイトをのぞいてみてください。
最近のコメント