12月17日は,まるで声の出ない朝であった。
風邪をひきながらの夕べの講演が響いている。
「なんとかせねば」と思いつつ,10時20分には家を出る。
シエ造号で,大阪空港(伊丹)へ。
ただちに薬局に飛び込み,「風邪です」「鼻とノドです」
「声が出るようになる薬をください」と哀願。
とりあえずは,指示されたとおりに,
栄養剤と風邪薬がいっしょになったドリンクを飲む。
11時35分の離陸である。
生後半年の新参には,初の飛行機旅行となる。
1時間たらずのフライトだが,ヤツには退屈だったらしい。
とはいえ,こちらは,わが声の調子だけを心配してすごす。
着陸して見れば,新潟は冷たい雨であった。
おまけに風もビュンビュン強い。
空港からは荒れる日本海の白波が見える。
とりあえずは駅前に出て,食事をとってただちに風邪ドリンク。
相方,新参と別れ,こちらは喫茶店で準備に入る。
2時40分には,会場の大映ホテルに突撃。
飴玉3ケをなめた成果もあってか,どうにか声はもちそうである。
今日の主催は,新潟県商工団体連合会。
県下全域からの集まりであり,参加者は150名を超えている。
催しは「新潟県中小業者決起集会」という名前であった。
3時10分から,5時すぎまで,10分の休憩をはさんでしゃべっていく。
聞きやすい声ではなかったろうが,
満足してもらえたようで,ホッとする。
「学ばない幹部に指導される集団は不幸である」。
この言葉が効いたようで,外では本がビュンビュン売れている。
こうして独習の気風が強まることは,とても嬉しく,頼もしい。
夜の新潟は,さらに風雨の度合いを増していた。
相方の待つホテルにもどり,
目を覚ました新参がちょうど満腹になったところだというので,
ただちに外にもどって出る。
いちばん近くの「新潟料理・越膳」に入ってみる。
冷たい汁物の「のっぺ」は,正月料理なのだそうだ。
味付けは,あっさりした筑前煮といった感じである。
具はどれも小さく切られている。
冷たいままで食べるのが,こちらの普通の食べ方だという。
お酒は,「きりんざん」というのを熱燗でもらう。
塩焼きにしてもらったぶりかまは,とても大きなものだった。
「南蛮海老」とあるので,何かと聞くと「甘海老」のことだという。
「南蛮(とうがらし)のように赤いことから来た」のだそうだ。
ホタルイカではないイカの沖漬が,醤油色ではない。
分厚い揚げたての油揚げに,きざみ納豆をはさんだものも食べてみる。
早めに,あたたかい稲庭うどんでしめていく。
離乳食初心者の新参の口に入るものは,オモチャの他に何もなし。
8時前には,部屋にもどる。
風邪薬を飲み,トヨタカップの決勝をながめながら,10時には眠る。
深夜2時に目がさめ,部屋のはしに小さなテーブルを移動し,
仕方なく「ジェンダー統計の人」となっていく。
5時に再度の就寝をはたし,12月18日は11時前からの活動となる。
シャワーで汗を流し,12時ちょうどにはホテルを出る。
近くの「十割そば・大はし」に入ってみる。
とてもコシが強く,香りの高いそばである。
つゆは関東風の黒い醤油色のものであった。
これが「越後そば」の本来の姿なのか。
逆光のJR「新潟」駅前。
今日は,すっきり晴れている。
1時前には空港にもどる。
途中,少しだけ雪がチラつくのを見る。
売店をひやかすと,「柿カレー」のパックに出くわす。
佐渡でとれる柿が原材料だと書いてあった。
はたして,これはうまいのか。
1時20分の離陸である。
機内「ジェンダー統計の人」となる。
現状を多面的にとらえる統計は豊富だが,
戦後史の変化を見せる経年ものが多くない。
さて,それは,どこで探したものだろう。
あっという間に大阪空港に到着。
2時30分には伊丹を出て,3時ちょうどには家にもどる。
新潟と我が家は,そう遠いあいだがらではないらしい。
再び風邪薬を飲んで,グッデリと夜まで眠ってみる。
さいわい回復の方向である。
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