2月10日は,多角的人生の1日であった。
まずは明日の朝からの行き先を調べ,
新たな原稿依頼の返事に迷い,
3ケ月原則をこえる夏の講師依頼にどう応えるべきかを考えていく。
一服して,午後2時には,「保険相談の人」となる。
なにせ新参20才の年に,こちらはすでに69才。
130才まで生きるとはいえ,稼げる期間には限りがある。
アヤツの人生の支えを,いかに無駄なくつくるかを相談していく。
終了後,3時半には,一族で散歩に外に出る。
近くの神社の前の公園へ。
ダッコしてブランコに乗ってみるが,
寒すぎたのか,いつもほどの喜びはなかったようである。
帰りには,百均により,和菓子屋により,
さらに韓国屋に寄ってみる。
夜は,相方の恩師およびご学友たちによる宴会があるのである。
家にもどり,こちらは5時30分には外に出る。
複雑な経路をたどり「十三」へ。
きんつばの「喜八洲」で,あれこれ差し入れの品を2人分ゲット。
そこから阪急で「曽根」へ移動。
豊中市民会館へ突進し,入り口前でI先生にごあいさつ。
中で,ただちに差し入れを渡す手続きをとる。
そのわずか数分のあいだに,
3年ゼミのH田・W部あるいはハラグロ・ダメ秘書コンビに発見される。
何人かの3年生が集まることになっているらしい。
しかし,たまった仕事をこなすため,
こちらは,泣く泣く,外へもどる。
これまた複雑な経路をたどり,最終的にはJR「尼崎」へもどっていく。
いつもの喫茶店に入り,スパゲティを食べながら,
「講演録なおしの人」となっていく。
ようやく最後まで,基本のなおしをすませることができた。
3万7000字。
ブックレットの字数としては,多いのか,少ないのか。
ホッとした気分で,9時前には,家にもどる。
中は,にぎやかな宴会の最中である。
サムゲタンをはじめ,韓国方面の食い物がならんでいる。
こちらも静かにまじって,煮豚をキムチでくるんで食べてみる。
11時前には,すべて終了。
それぞれ毒を吐きながら,食器類のはげしい片づけが行われていく。
良くしゃべり,良く笑い,良く毒を吐く人々であった。
明日は恐怖の朝仕事。
終日,うつろであるに違いない。
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