3月31日は,ひきこもりの人生となる。
朝9時には立ち上がり,「ニュースチェックの人」となっていく。
「慰安婦」発言やら「靖国新資料」やらで,
今日も歴史方面に時間がかかる。
つづいて,夏の論文作成に必要となる,
右翼思想やその戦後史についての文献さがしを行っていく。
ますます経済学者らしくない。
とはいえ,この種の思いつきは,
いつでも忘れないうちの実行が肝心。
食後,一時,ウデッとした後,「GP文書の人」となっていく。
ふりかえってみれば,
「文書の人」は,まだまだ良かった。
試練は,さらに「GP図の人」とならねばならなかったこと。
パソコンを離れ,
新参の食い散らかしあとが残るテーブルにノートをひろげ,
ああか,こうかと,丸や矢印なんぞを描いていく。
夕食後,「こんなものしか描けません」と,
見切りをつけて送信する。
ここはひとつ,集団の知恵に依拠していこうとの作戦である。
他に光明を見いだす術はなかった。
その後も「GP文書の人」となる。
図表の数値更新には,
これから関係部署の力を借りねばならない。
しかし,基本の文書はあらかた最後までの見通しがついた。
あとは,もう一度,最初にもどり,
細かい表現の練り上げを行っていくことだけ。
さて,今から40年ほども前のことだが,
愛読した『少年キング』という雑誌の「読者のコーナー」に,
一葉のマンガが掲載されたことがある。
以後,わが脳内のイメージを平面に具象する能力は,
ただだた衰退の一途をたどったらしい。
いや,そもそも脳内にイメージする力自体が,
衰えるばかりであるらしい。
「GP図の人」をつうじて,
あらためて思い知らされた50歳の夜である。
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