石原都政があまりにひどすぎるので,都知事選では浅野候補に期待する声もある。
だが,浅野氏の3期12年の実績は冷静に見つめる必要がある。
大型開発,国保証とりあげ,自立支援法賛美,オール与党……。
これでは知事が交代しても石原都政の衣替え(新たな担い手による継続)にしかならないのではないか。
マスコミがつくる「石原vs浅野」という図式が,実際上,財界の推進する「二大政党制」の都政版となっている点にも注意がいる。
日本共産党躍進の流れを首都・東京から 明治公園での 志位委員長の訴えから(しんぶん赤旗,3月13日)より一部のみ
浅野氏――宮城での「逆立ち」県政は石原都政とうり二つ
この点で、前宮城県知事の浅野史郎氏はどうでしょうか。
私は、四年前に浅野さんが三期目の知事をつとめている時期に、宮城の県議選の応援にいったことを思い出します。そのときの演説の記録を読み返してみましたら、当時の記憶がよみがえってきました。私は、そのときに浅野県政の資料をつぶさに分析して、「この知事さんは、政党の推薦を受けてはいないが、やっている政治の中身をみると自民党よりも自民党型だ」と診断し、批判しました。
なにしろ、その時点の数字ですが、宮城県は、東北六県で、一人あたりの住民税は一位。一番税金をとっているのに、東北六県で、福祉費は最低、教育費も最低、衛生費も最低でした。宮城県では、浅野さんの前の自民党の知事も、国保証のとりあげについては、「これだけは絶対にやらない」といって一枚もとりあげはやられていませんでした。ところが浅野知事は平然ととりあげをすすめていました。
その一方で、巨大開発のほうは、船のこない石巻市の港に、何千億円ものお金をいれて、巨大なふ頭と防波堤をつくっていました。私は典型的な「逆立ち」県政の見本だと批判したことを思い出します。
私のこの診断と批判は正しかったと思います。私は、いくら港をつくったって、船は来ませんよと、四年前に言いましたけれども、その“予言”はそのとおりになりました。
浅野氏の三期十二年の宮城県知事としての「実績」をみるならば、冷酷な福祉切り捨てと大型開発優先の「逆立ち」県政を、自民、公明、民主、社民の「オール与党」に支えられておこなったという点では、石原知事とまったく同じ流れのなかにいる人物であるということはまぎれもない事実であります。(拍手)
石原東京都政と浅野宮城県政を並べてみますと、やっていることは驚くほど同じであります(「そうだ」の声、拍手)。福祉切り捨てをとってみても、介護保険導入を口実に介護手当など経済給付的独自施策をのきなみ打ち切ったこと、乳幼児・障害者・母子家庭の医療費助成に一部負担を導入したこと、特別養護老人ホームなど老人福祉施設への都・県の独自補助を削減したこと、私立保育園への都・県の独自助成を削減したこと、都立高校や県立高校の統廃合を推進してきたことなど、絵に描いたようにうり二つであります。この二つの対照表をつくったら、どちらが東京でどちらが宮城かが、ほとんど区別がつかないというありさまであります。(拍手)
浅野さんは立候補表明の際、東京都の介護保険三施設(老人保健施設、特別養護老人ホーム、療養型病床群)の人口あたりの定員率が、全国四十七都道府県で最下位だということをさかんに批判しました。しかし残念ながら、浅野さんがやってきた宮城県政も全国四十位(笑い)なのであります。四十位の県政が四十七位の都政を笑うことができるでしょうか。どちらも二人の知事が「施設から在宅へ」を口実に、介護施設への補助を削減するなどして、施設整備を遅らせてきた結果であります。
「障害者自立支援法」――障害が重い人ほど負担が重くなるという、稀代(きだい)の悪法にたいしても、石原氏、浅野氏ともに、これを賛美する態度で共通しています。
ですから浅野さんが石原都政にたいして、「一期目はよかった」、「輝かしい業績をあげてきた」、「基本的にはだいたい継承すべきもの」といっているのは、たんなる外交辞令ではないのです。それは、まさに二人が「逆立ち」仲間であるということを、当事者が認めた発言にほかなりません。(「そうだ」の声、拍手)
石原知事の暴政があまりにひどいだけに、浅野さんを「よりまし」と期待する人がいるかもしれません。しかし自治体とは何よりも「住民福祉のための機関」であり、その自治体の原点を、乱暴に、また冷酷にふみにじるという点では、石原さん、浅野さんのどちらかが「よりまし」とは、けっしていえないのであります。(拍手)
宮城県で「逆立ち」県政をすすめてきた人物が東京にきて、「逆立ち」都政をおこなってきた「オール与党」の一部にかつがれて、どうして都政改革ができるか。私は絶対にできないと言わなければなりません。(「その通り」の声、拍手)
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