3月27日は,久しぶりに要外出の1日となる。
とりあえずはネットでニュースをながめ,
朝から「GP文書書きの人」となる。
アタマの整理がつかないところもあるが,
それでも書いていくしかない。
あっという間に時間は経過。
サクサクと準備をして,5時ちょうどには外に出る。
世間はちょいと雨である。
JR「加島」から「京橋」へ。
車中「民主府政の人」となっての移動である。
この間の「講演原稿」でお世話になった,
「京橋」駅の改札前で初体面。
さらに,学生時代の友人S木さんとは24年ぶり。
まずは,この3人で,卒業生居酒屋「山葵」へ移動。
M尾さんに編集していただいた小さな本は,
5月には世間に出てくるらしい。
S木さんとは,昔,大学院受験の勉強をいっしょにした仲。
そして,某高校の宿直バイトで同じ釜のメシを食った仲。
当時の学生運動もふくめて,
はげしき「動乱と狂気の時代」を,なつかしむ。
その後,長く生協につとめ,修行浪人のすえ,
いまは英語の実務翻訳の仕事をしているという。
おまけにフルマラソンを3時間半で走るらしい。
やはり,いまだに変わり者。
6時には,昨年の「ナヌム旅行」に同行してくれた,
T内さん,M永さん,そしてT内A男(Y介くん)が初登場し,
座は,一気に,にぎやかとなる。
4月に高松で「うどん醤油」を買ってきてくれるのは,
このT内さんなのだが,
なぜか,ここではそばをいただく。
ありがたや,ありがたや。
8時半には,京都からF田弁護士もかけつける。
じつは,こちらも,S木さんと同じかつての「バイト先釜のメシ」仲間であり,
さらには,昨年の「ナヌム」仲間でもある。
新装なった2Fにはじめてあがり,
ここでは座って飲んでいく。
ラガーマンY介くんは,物静かだが,
長いあいだ,決して箸をとめることなく,
おじおば話を興味深げに聞いていた。
どうやら今年の夏には,
母の「ナヌム」再訪問に,同行させられることになるらしい。
M永さんの「大正区」昔話のあたりから,
かつての戦争とその後の父親たちの話になり,
抑留やら,脱走やら,馬賊やら,革命軍やらといった,
ものすごい話もとびだしてくる。
F田弁護士は残留孤児裁判をやっている,
その方面の専門家であり,
ここには,出版人M尾さんもいるのであるから,
条件さえあえば,「証言」録の作成は困難ではない。
S木さんには,社会ネタでの翻訳出版を煽ってみる。
異質な人間たちのネットワークづくりは面白い。
「ごきブラ」の録画予約をしなかったことを,
はげしく悔やみながら,
11時すぎの「おひらき」とする。
それぞれ「明日の仕事」を考えると,
あまりに遅い時間だが,
人間には,こういうアホバカ時間が不可欠である。
次は,どこで,どうして,会うのやら。
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