4月16日は,4時間睡眠の朝である。
ノロノロと動き,新参を保育所に運搬・連行。
そのままただちにJR「加島」から「西宮」へ。
車中「文春安倍・桜井対談の人」となっての移動である。
安倍氏は「慰安婦」決議をめぐり,さかんにアメリカに真実を説明するといっている。
だが,その真実とやらは,対談のどこにも説明されていない。
研究室で小仕事をする。
「学生本原稿」作成のために,ブログから「慰安婦」関連記事を選び出す。
オニギリを食べながら,今日のニュースをながめていると,
4年生H田さんがリクルートスーツでやってくる。
「学生本」の「座談会」ゲラの直しである。
「この一週間で10時間くらいしか寝ていない」とも。
就職活動というのは,ストレスの大きい作業である。
いれかわりに,同じ要件でT中社長もやってくる。
社長は,とりあえず,健康第一の人生である。
すきを見て,教育開発センターにも顔を出す。
1時20分から「経済学-情勢を見る問題意識」をやっていく。
こちらは日米関係の解説に時間がかかる。
研究室にもどると4年生W辺秘書が,「ゲラがない」とブーたれている。
「3限目に来るから,ゲラ置いといてくださいといってたのに」
ということらしい。
う~む,そういうことであったのか。
3時から「3年ゼミ-日中首脳会談で時間切れ」の時間となる。
小仕事のため,学生たちにはビデオを見せ,
10分ほど遅れて入っていく。
5時すぎには,ゼミを終え,全員で「ハラに何かを入れる」時間とする。
こちらは,いつものように春雨ヌードル。
途中,今日の新参の保育時間が3時までだったことを思い出し,
あわてて相方にメールを打つが,
すでに世間は4時であった。
保育所のみなさん,申し訳ありません。
この3人組は,そろってカップ焼きそば人間となっていた。
5時40分には,全員タクシーに分乗しての移動となる。
6時から「プレラにしのみや」で行われた「不二越訴訟原告ハルモニと東アジアの平和について語る集い」に参加する。
世間は小雨が降っていた。
朝鮮人強制労働の1つの現場となった,富山最大のメーカー「不二越」に対する裁判である。
当時12才だった李福実(リボクシル)さんは,朝鮮の国民学校の教師の命令で日本に渡っている。
甘言と威圧による強制連行,過酷な労働と暴力,日本人労働者との待遇格差,あまりに貧しい食事,機械仕事の危険,賃金の未払い。
これに「勤労挺身隊」を「慰安婦」と誤解する部分もあり,戦後の家族内部のやりきれない不和なども加わる。
1992年に開始された第一次訴訟は,2000年の最高裁での勝利的和解をもって集結する。
特に,富山地裁の第一審は,事実関係を全面的に認めもした。
しかし,和解内容には「積み残し」もあり,ここに決着をつけるべく,2003年に第二次訴訟が開始される。
07年3月結審となり,いまは9月の判決を待つのみである。
求められる損害賠償額は,現在の不二越にとってはわずかな金額であり,問題は歴史を認め,誠意ある謝罪をするかの一点にある。
韓国の「サムスン電子」への働きかけにより,「戦犯企業・不二越」との取引を停止とさせた闘いもある。
怒りのこもった証言を聞き,学生たちも質問の手をあげる。
「朝鮮の国民学校での教育の内容や学校の様子はどのようでしたか?」
「日本へ行けとの命令があったときに,幼いがゆえに,日本への憧れもあったといわれましたが,それはどういう内容ですか?」
ユーモアをまじえ,若い世代に対する教育的な配慮をもって,李さんが詳しく回答してくれる。
裁判に長くかかわっている人もいれば,あまり問題の多くを知らない人もあり,
お坊さん,お医者さん,教員,学生,在日朝鮮人……,
参加者の顔ぶれはにぎやかである。
ハルモニとともに韓国からやってきた若い女性が,
「9月に水曜集会でお会いしましょう」と学生たちに声をかける。
濃密な空間と時間である。
9時前には終了となり,最後はハルモニたちと記念写真。
学生は14名全員参加であったのだが,
「遠距離通学」「門限との闘い」などがあり,
記念写真は半分の7人だけとなってしまった。
主催者等にとって,若い世代の出席は珍しいらしく,
たくさんの大人が学生たちに声をかけてくる。
学生たちはそれらをどう受け止めたのか。
次回ゼミでの「感想交流」が楽しみである。
阪急「西宮北口」で解散とし,9時30分には,「加島」にもどる。
「西宮」から「加島」までは,偶然出くわしたU野先生と一緒であった。
帰宅後,うどんをゆがき,たまねぎと羊の肉を炒めてみる。
鼻づまり新参は,鼻炎のクスリで寝こけている。
こちらも,12時前には,グッデリと寝る。
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