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最近の出来事(2005年1月特別編)
2005年1月31日(月)~2月1日(火)……4年生ゼミで金沢・加賀へ!
見た,食った,凍えた。寒波のなかの卒業旅行!
〔1月31日〕
4時就寝,8時40分起床の朝であった。
まったくもってダメダメである。
しかし,急いで野菜ジュース,ゆず茶を体内に投入。
メールをチェックし,シャワーをあびて,9時30分には外に出る。
4年生卒業旅行の行き先は金沢である。
もちろん,足には,先日の北海道旅行の際に購入しておいた,
すべらーずシューズをつけていく。
JR「大阪」駅中央改札噴水前が集合場所。
すでに参加予定の4年生は集まっていた。
しかし,なぜかいつもの噴水がなくなっていた。
どうしたわけか。
JR「大阪」になにが起こっているのか。
今日の参加者は,諸般の事情により,M上・K田・S下・S條・H爪・T本の6名である。
しぼりこまれた「精鋭」たち(と,そういうことにしておこう)。
「すごい雪らしい」「えらいことになっているらしい」。
とはいえ,予定どおりの出発である。
10時12分「大阪」発の特急「雷鳥」に乗る。
車中,こちらは「小ゲラなおしの人」となり,みんなはさっそく菓子を出している。
眠いなあと思いながらも,作業はすすみ,12時30分には「なおし」も終わる。
編集部による文章なので,やはり,どうしても「なおし」が多くなってしまう。
12時58分にはJR「金沢」に到着。
当然のことだが,寒い。
予想をこえて,おそろしく寒い。
雪である。風である。鼻水である。
あとで聞くと,瞬間最大風速は20メートルをこえていたのだそうだ。
それでも人間ハラはへる。
まずは,ただちにメシである。
徒歩10分で近江町市場へ直行し,超うまい回転寿司「もりもり寿司」を襲撃する。
「7人です」「ちょっとお待ちください」。
15分ほど外で待って,団体さんが出たあとには,全員横並びで回転カウンターの前に座らせてもらう。
食う,食う,しゃべる,笑う。
食う,食う,しゃべる,注文する。
こちらは,特に,このあたりでしか見ることのない貝・海老方面を中心に攻めてみる。
「シロエビ」「万十貝」などである。
安くてうまい回転寿司,万歳。
安くてうまい「もりもり寿司」万歳(長くつづく拍手)。
ひとたび寿司屋を出ると,やはり世間は極寒である。
それでも負けずに,足を兼六園へと向けてみる。
途中,たい焼きのように見えたが「金魚焼」。
また,ギョーザカツという見慣れぬ食べ物も発見する。
しかし,満腹のため,その正体を解明する作業にとりかかることはできなかった。
今後の課題としたい。
目についた「尾上神社」に寄ってみる。
明治に入ってからつくられた,一部洋風建築もとりいれたオシャレな神社だが,
あまりの寒さのために,「由来」をゆっくり読みこむゆとりはなかった。
サクサクと,凍えながらも兼六園を目ざして歩く。
手前の金沢城から入ってみる。
何せ兼六園は金沢城の「外庭」である。
両者はしっかりつながっている。
城の屋根から,ドサリ,ドサリと雪が落ち,
そのたびに「すごい」「あぶない」と歓声があがる。
お掘りの水も,半分凍ってシャーベットのよう。
いつのまにかM上が右足のクツをスリッパのように踏みつけている。
どうやら雪がしみこんだらしい。
ようやく,目ざす兼六園に到着する。
「雪の兼六園はすばらしい」。
たしかに景色はそのとおり。
だが,それは,見る側に心のゆとりがあってこそ。
この4年ぶりの寒波のなかでは,それはただただ過酷な体験でしかない。
池のカモたちも,一か所に集まり,無言で暖をとっていた。
あまりの寒さに耐えかね,「室内」をもとめて金沢城にもどってみる。
予定にはまったくなかったのだが,ここへ来る途中にみかけた
「東櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」という建物に入ってみるためである。
期待に反して,中の暖房はなかったが,それでも風がないだけあたがたい。
櫓(やぐら)であるから,これは戦闘のほぼ最前線の建物となる。
長屋はそのための武器庫のようなものらしい。
攻めてくる敵が見やすいようにと,櫓の床が菱形につくられている。
そのため,すべてが菱形にひしゃげており,
そこにいるだけで,何かの錯覚にとらわれそうな構造だった。
このなかで,よく当時の人は闘おうとしたものである。
櫓には,上から石を落とすための下向きの窓があり,
寒さでおかしくなった学生たちから
「落としてみたい」「落としてみたい」と声があがる。
ここの観覧は4時半まで。
キンカラ,コンカラとそこいらじゅうに,閉園(?)を知らせる音楽がなる。
寒さに震えながら,JR「金沢」にもどる。
じつは,今夜の宿泊先は「片山津温泉」なのである。
4時55分発の普通電車で「金沢」を出る。
海沿いに西へともどる。
金沢から小松へ,小松から加賀へ。
5時38分JR「加賀温泉」に到着する。
ここに,むかえのマイクロ・バスがやってきていた。
ありがたい。
運転手は,年輩のお父さんだったが,
このお父さんがまたつわもので,「こんな天気がどうした」とばかり,
雪のつもった路面を高速で走る。
途中,前のクルマに2度ほど,クラクションさえ鳴らしていた。
どうも,戦闘的な走り屋のお父さんのようである。
そのかいあってか,5時50分,バスは片山津温泉にすばやく到着。
宿はホテル「古賀の井」である。
古い形の昔からの温泉旅館を,「ちょいと今風にかえてみました」というつくりである。
玄関にはいると,おお,暖かい,暖かい。
室内だというそれだけで,思わず心がなごんでしまう。
それぞれの部屋にわかれ,こちらも,リュックをおろして,
ただちにお茶をいれてみる。
窓の外は雪。
さらに,その下に水のたっぷり入ったプールが見える。
なんともまあ,おそろいしい光景である。
夕食は6時30分からと,みんなが決めた。
食事をとる「奥松」の部屋の前には,旅行係M上の名前があった。
「うわ~,エラそうに」と大笑いする。
「卒業できることを前提に,カンパ~イ」。
食前酒として出されていた梅酒で食事をはじめていく。
「卒業させてください」のつぶやきもある。
この学年は,あまり酒を飲む習慣がない。
こちらだけが,「あったかいお酒をください」
そして,しばらくして「あっ,もう1本ください」と飲んでいく。
料理は,ほぼカニとエビに埋めつくされていた。
蒸しガニ,焼きガニ,カニグラタン,カニ寿司,カニ鍋,
エビの刺身,エビの味噌汁,エビの土瓶蒸し……。
いくらなんでも,あまりの攻撃。
それでも,みんなでほじって食べていく。
「オカンがいないから,めっちゃ静かや」(S條),
「こんなにカニほじくってたら肩こるわ」「多すぎて,壇田んカニのありがたみがなくなってきた」(H爪)。
寒さに体力を奪われていることもあるのだろう。
みんな,なんだか疲れている。
黙々とカニほじりに専念し,そして,なぜか流行遅れの「動物占い」で盛り上がる。
「あ~あ,満腹」と,カニの食べ方についても「動物占い」を適用しつつ,
8時には,みんなおとなしく部屋に引き上げる。
ここから,こちらはホッと1人時間の体制である。
思わぬテレビの不調があったが,
これをフロントさんになおしてもらうと,「世間はおそろしい寒波です」とのニュースがつづく。
「北陸は今日から明日にかけてエライことです」
「加賀温泉はさらにドエライことになります」といった警報や予報もたくさん出ている。
「う~む,これは……」と思いながらも,
「まあ,なるようになるわな」と,温泉につかりにいく。
そう大きくはない風呂であったが,それでもすれちがった客はわずかに2人。
十分すぎる湯船「独り占め」の人生であった。
風呂上がりに,ゲーム機コーナーにあった自販機でお茶と焼酎を買う。
「なぜ,このワンカップ焼酎雲海が500円もするのか」と,憤ってみるが,
他に酒を手にいれる手段がないので,静かに500円を投入する。
「加賀温泉」へ来る電車の中で,
「まあ,夜のつまみに」とS下に渡された「おかき」が深夜活躍する。
S下の先見の明といえるであろう。
コリコリコリ,ポリポリポリ。
しんしんと夜はふけていくのであった。
河崎眞澄『還ってきた台湾日本兵』(文春文庫,2003年)を読み終える。
「自分は日本人である」との自覚のもとに,自らすすんで帝国軍隊に志願する。
しかし,戦争が終わってみれば「日本人」としての保護はない。
さらに台湾政府は日本が闘った国民党の政府である。
「日本人」としての誇りをいまも失わない,特に高砂族の元兵士に焦点があたる。
なぜ彼らが日本語を覚え,戦場へ行き,人を殺さずにおれなくなったのか。
そこの歴史的背景を,もうすこしうめてほしかったと思う。
〔2月1日〕
7時45分,電話のモーニングコールがピピピ……と鳴る。
カーテンをあけてみると,外は,当然のことだが真っ白である。
夕べは気づかなかったが,プールの向こうも水である。
地図をひろげると,ここは柴山潟という,大きな池のような,しかし立派に「海の一角」である。
つまり,海もまた目と鼻の先なのである。
柴山潟の中央に見えるのが「浮御堂(うきうき弁天)」で,
その奥には「柴山潟大噴水」があるらしい。
この時期,噴水はどうなっているのだろう。
ちょいと朝風呂につかり,
昨日の夕食のときに「おきれませんから」「いちばん遅い時間にしてください」とお願いしておいた朝食を,
朝8時30分から食べていく。
いつもは食べることのない朝の固形食だが,なぜか旅館のメシはうまいのである。
とくに白いコメがうまいと思う。
コメがいいのか,水がいいのか,炊き方がいいのか,炊く量がいいのか……。
ともかく,バクリ,バクリと食べてしまう。
10時前にはフロントに全員荷物をもって集合である。
「寒いから外にでない」というのは許されない。
チェックアウトの時間である。
夕べのマイクロバスに乗り込み,まずはJR「加賀温泉」へともどっていく。
バスの中から「天狗ハム」という,すばらしい店の看板を見つける。
「天狗肉のハム」なのか,あるいは「天狗が経営しているハム屋」なのか。
この目で確かめることができなかったのが,残念である。
駅前で,CANBUSと呼ばれる,加賀温泉一帯の周遊券を買う。
これをもっていると,グルグルと巡回する観光バスが1日で800円で乗り放題である。
吹雪のバス停でしばらく待ち,まずは「ゆのくにの森」をめざしていく。
ここは「伝統工芸村」となっている。
大きな観光バスだが,やはり雪などものともせずに走りまわる。
20分ほどで「ゆのくに」に到着。
「ともかく一か所に北陸の工芸品たちをギュッと濃縮させてみました」。
そんな感じの「村」である。
しかし,あまりに観光化されすぎていない,
ほどほどのさびれ具合が救いとなっている。
雪が,観光をおだやかに見せているのもあるだろう。
「輪島塗」「友禅染」「オルゴール館」「九谷焼」「金箔」「ガラス工芸」「和紙づくり」と,
それぞれにながめてみれば面白い店があり,
自分で金箔がはれるなどの体験コーナーもある。
しかし,やはり世間は寒いのである。
どこかに火はないのか。
どこかにストーブはないのか。
わが肉体は圧倒的に「暖をもとめる」体制にはいっていた。
ここの温泉饅頭は,その名を「伊助饅頭」という。
金箔職人の伊助から,その名がとられたらしい。
そういえば,店には金箔入りの饅頭があった。
ここで,K田は「プリンどら焼」なる妙なものを買い込んでいた。
「失敗」にちがいないと,予言をしてみる。
店の中のストーブにあたるために入った店で,
安くてキレイだったので,九谷焼の「盃」を買う。
店の側からすれば「思うつぼ」の客である。
しばらく歩き,つづいて「金箔」モノの店にはいる。
とすると,向こうから店員さんが声をかけくる。
「あっ,油取り紙……」。
この寒さのなか,わが顔面もそんなにテカッているはずはない。
そういぶかってみると,
「油取り紙のサービスがあるのです」「クーポン券をちぎってください」とのことである。
全員,いわれたとおりにちぎってみる。
それにしても寒い。
「越前の館」あたりで,すでに体力消耗の限界となる。
ここで「イノシシカレー」と「越前ソバ」を買い,
みんなで食事処にはいることにする。
雪が強い。
気分はすでに「八甲田山」。
「ゴハンだ,ゴハンだ,あっかいものだ,あったかいもの」と店にいく。
だが,そこにあったのは冷えて疲れたからだに追い打ちをかける長い階段。
これを登り切って,ようやく「漁師の館」に到着する。
「たくさんのものはいらない」「でもあったかいものがほしい」。
海鮮ラーメンとまよったすえに,こちらは「田舎汁定食」をもらうことにする。
ああ,ごぼうだ。
ああ,こんにゃくだ。
からだが内からあったまる。
食堂とつづいたとなりのお土産屋も歩いてみて,
「鯖のへしこ」「ほたるいかの塩辛」などを買ってみる。
「イノシシ」以外の土産は,なぜか,すべて「酒」を中心に配置されているようである。
1時28分発のCANBUSに乗り,「ゆのくにの森」をあとにする。
他にもこのバスの停留所には,
「日本自動車博物館」や,「大日盛酒蔵資料館」といった魅力的な場所があるのだが,
ともかく寒くて元気がでない。
とりあえずはと,JR「加賀温泉」にもどることにする。
「電車が遅れるかも知れない」
「1本早い電車にチケットをかえることはできないだろうか」。
旅行係M上と,その応援団T山が,駅員さんとの交渉にいく。
その間に,娘A子へのご当地キティも買ってみる。
交渉の結果は,残念ながらの敗北である。
まあ,いたしかたないところであろう。
あとは,予定の電車が運休とならないことを祈りつつ,
体力温存の場を求めるだけである。
駅横の大きなスーパーの2Fに,この建物唯一の喫茶店を発見する。
そして,そこに引きこもる。
ゆったりとした椅子があり,あたたかい飲み物がある。
それだけで,いまは十分である。
ゆっくりと「真理子様の人」となる。
帰りの電車は,3時43分発の「雷鳥」である。
ころあいをみはからって駅へ行く。
しかし,改札のあたりに人がたまっている。
次第に電車は遅れはじめているのであった。
わが「雷鳥」も,「3分の遅れ」が目の前で「9分」となり,
それが,あっというまに「29分」となっていく。
さらに待って,ホームに出てみると,これは「走ってくれるだけでありがたい」
そういう気分の景色であった。
「視界不良のため速度を落して運行しております」。
こんなアナウンスは初めて聞いた。
しかし,いいからね。
途中で止まりさえしなければ,それでこっちはいいんだからね。
車中「真理子様の人」となり,JR「堅田」あたりから「女性解放論」の人となる。
外がすっかり暗くなったJR「京都」で,動物占いオオカミのK田が降りていく。
じつに「マイペースのオオカミ」らしい。
このあたりから,わが卒業旅行も静かに終了の段階にはいる。
そして,JR「新大阪」でこちらもスルリと電車を降りる。
「占い」の結果は,やはりオオカミなのである。
旅行係のみんな,今回の北陸耐寒訓練旅行に参加した学生同志諸君よ,おつかれさま。
みんな,卒業できるといいね。
ほぉ~んとに。
7時30分には家に着く。
リュックから,盃やサカナを出し,ただちに酒をあおっていく。
う~む「鯖のへしこ」がうまい。
我孫子で最初にかよった居酒屋「てんきゅう」を思い出す。
あそこの大将は,確か「福井の人」だった。
ビデオで関西必見アホバカ番組をながめ,夜になれば「ごきブラ」も見る。
大阪も寒いのだろうが,しかし,家は暖かい。
おありがたいことだ。
小池真理子様『エリカ』(中央公論新社,2005年)を読み終える。
恋愛モノについては,官能や堕落といったことばに象徴される,
いかにも濃厚な世界の描写が多い真理子様だが,
これは恋の「幻想性」でとどめをさす異色の作品。
ハンバーガー屋の青年にはどこかホラーを感じさせ,
それを受け入れるエリコの行動にも日常からの逸脱がある。
しかし,「幻想なき人生」のスタートが,どうやらこの物語からの脱出口。
思いも寄らぬ展開であった。
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