自民・民主の「相乗り」への市民の批判が強かったことが再確認される。
とはいえ「相乗り」がなければ、共産推薦の候補に勝てなかったのも事実である。
二大政党制をめざす財界のジレンマであり、政界の主役をめざす民主のジレンマでもある。
最後の一手が「共産市政」批判という無内容なレッテル貼りでしかなかった点にも、政治の頽廃が良くあらわれている。
国政の与野党、自民、民主、公明、社民4党が推す前市教育長の門川大作さん(57)が、共産党推薦の中村和雄さん(53)に951票差で競り勝った京都市長選。「相乗り批判」を展開した前市議の村山祥栄さん(30)、会社相談役の岡田登史彦さん(61)も加わった混沌(こんとん)とした選挙戦の舞台裏を市長選取材班の記者が振り返った。
■相乗られ
A 「相乗り」が最初から最後まで注目された選挙だった。選挙後、自民党の谷垣政調会長は「相乗り批判はステレオタイプ。政党に(市政への)姿勢の違いがあったとは思えない。国民生活のためには、妥協と協力は必要」と、相乗りの意義を強調した。
B 確かにそうだが、市民は相乗りという結果よりも相乗りに至る過程を、「党利党略が先行している」と冷ややかな目で見ていたのではないか。
C 当初、民主党府連の福山哲郎会長は「共産党を過大評価する必要はない」と、独自候補擁立の可能性を示唆した。結局、自民、公明党でも擁立論があった門川さんに、民主党が出馬要請し、自公が追随した。「結果として相乗り」になった。その間、政策論よりも政党のメンツが重視されてしまった。
B 与党との相乗りを禁止した民主党本部は冷ややかだった。
C 福山会長は赤松広隆・同党選対委員長に「相乗りではない。相乗られです」と食い下がったが、党本部は推薦を見送った。
■さや当て
A 前回よりも市議の数が増え、民主党の力が増した分、自民、民主両党の主導権争いが激化した。
B 選対本部長に自民側は谷垣政調会長を据えようとしたが、民主党が反発して空席になった。選挙カーに国会議員を乗せない方針にも反対した。
A 民主党側が「うちは国会議員が選挙カーに乗って票を掘り起こす」と強調したが、自民党側は「国会議員に頼るのは、地道な活動をしていない証拠」と取り合わなかった。
C 一方で電話作戦を十分にしない民主市議もいた。陣営内の自民側からは「民主の姿が見えない」と不満が上がった。選挙戦中盤、読売新聞の世論調査で、民主党支持者の3割強しか門川さんへ投票を決めていないことが分かり、引き締めにかかったが、あまり効果がなかった。
A 民主党国会議員は「他候補に流れているのはうちが把握しきれていない人たち。固めようと思っても難しい」と話していた。民主党が頼ってきた<風>が他候補に吹くのを止める方法がなかった。
■風が見えない
C 若い村山さんに対し、各陣営は「風」を警戒した。ただ、各陣営とも序盤はなかなか風を読むことができなかった。
B 村山さんを押し上げる風が吹かなかったのは、「市民の選択肢が必要」と相乗りを批判したものの、政党の枠組み論の延長線上で、政策の違いを打ち出せなかったからだろう。
A 中村さんは、左京区、南区など4区で門川さんの得票を上回った。弁護士としての実績を訴え、党派を超えて無党派層にも支持を広げていった。
B それでも、接戦で負けた。現職市長が引退する選挙で、共産推薦候補が接戦で負けるのは3回連続。追い風を勝利につなげられなかったのはなぜだろう。
C 中村さん個人の魅力もあって支持が拡大したものの、最後は「共産市政を許すな」という相乗り陣営の訴えが効いた。京都は共産支持層が厚いとはいえ、拒否反応を示す人も少なくない。共産党の限界を示した。
信頼回復へ挑戦を■門川市政誕生
B 門川さんが25日に新市長に就任し、124項目のマニフェストに基づいた門川市政が始まる。
A 経済界や多くの政党に支えられたため、マニフェストは多岐にわたる。「しがらみ」にけじめをつけられるか心配だ。
C 「1年以内に不祥事終結」の公約を不安視する声が市役所内にある。職員の意識を末端まで変えるのは、並大抵なことでない。市民の信頼回復は、市政運営の土台だ。果敢に挑んでほしい。(2008年2月20日 読売新聞)
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