授業「4年ゼミ-被害とは何か、天皇の神性とは」をやっていく。
卒論テーマの練り上げである。
卒論づくりには、学生たちの人柄が大きな役割を果たしていく。
その1つが、いまある自分の到達点を受け入れることのできる学生と、そうでない学生との分岐。
「いまの私はこの程度のものです」と、自分をさらけ出すことできる学生ほど、ゼミでの報告回数も多くなり、まわりの人にものを学ぶ機会も多くなる。
対照的に「アホな私を見せたくない」に固執すれば、時がたつほど「良い報告をせねば」の強迫観念にしばられて、ますます動きがとれなくなっていく。
おそらく必要なのは、一方で「いまに見ていろ」「私はこんなものではない」と思いながら、しかし「いまある自分」を冷静な出発点として受けいれる、そういう精神の強さである。
これは何も学生だけに限ったことではないのだが。
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