4月27日は、10時半起床の朝であった。
新参がにぎやかに外にでかけ、
これまたにぎやかに帰ってくる。
パクパクと昼食をいっしょにとり、
午後は、静かに布団にもぐりこませる。
こちらは、ネットのニュースをながめていく。
メール移転にともなう
いくつかの実務も片づけていく。
アドレス変更の連絡メールに、
いくつも返事をいただくが、
それには「ついでだから」
「あの会に来い」「このMLに入れ」と、
宿題がついてくることが少なくない。
そういう人生であるらしい。
時間の限りで、対応していく他ないのである。
所属するいくつかのML管理者からは、
「新しいアドレスも入れておいた」と連絡がある。
おありがとうござ~い。
アドレス帳の移動がうまくいかないが、
「必要に応じて」ということで、
大して問題はないようである。
夕方には「昭和天皇の人」となってみる。
6時半には、夕食である。
7時すぎには、風呂に入り、
新参を丸洗いの上、ゆでダコとする。
ヤツは、陸にあがるなり、
ただちにお茶をグビグビ飲んでいた。
夜は、あっちのノートもちょいといじり、
机まわりを片づけてみる。
とはいえ、いまだ圧倒的に
散らかり具合が勝っている。
焼け石に水とはこのことか。
「生き死にの人」から「多喜二の人」へと変態していく。
30年ほど前、
学生自治会の委員長に立候補したとき
候補者パンフに「人を殺す犬」をあげた。
「最近読んだもの」といったコーナーがあったのだろう。
当時は、それらの悲壮な空気に
勝手に酔いしれるところがあったのだが、
それはこちらの未熟だけではなかったらしい。
『1928年3月15日』への多喜二の反省を
はじめて知って、そう思う。
なるほど多喜二もまた、
「発展」の人であると同時に
「途上」の人であったわけだ。
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