7月19日は、8時起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクで立ち上がり、
9時をすぎたところで、外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、「西宮」へ、
車中「予習の人」である。
10時から、1年生向けの就職話を行う。
「『就職』を考え始めるために」といったテーマである。
いつも土曜日は授業がないが、
このためだけに集まる学生がいる。
キャリア方面小仕事のひとつということである。
11時すぎには研究室にもどり、
弁当を食べ、
カシャカシャとメール仕事を行っていく。
あるMLに登録してあるアドレスを、
「変更してください」とお願いすると、
「それを管理しているのはアンタだろう」と返事がある。
まったくアホな話である。
確かに、そのとおりで、
さっそく、パチポチ変更する。
8月3日「慰安婦」企画と学生本出版の案内を、
毎日・朝日・中日新聞など、
これまでゼミを取材してくれた記者さん
たちにガッシンする。
さて、反応はどのようか。
他方、「結婚式は、もう明日ではないか」と思いつき、
「Nぶんの思い出を届けてほしい」と
同窓生たちにもガッシンする。
2時をすぎたところで、大学を出る。
JR「西宮」から「あしや」へ、「元町」へ、
車中「予習の人」となって移動する。
暑く、にぎやかな通りを歩いて、
兵庫県保険医協会事務所に突入。
3時すぎから、「学生と学ぶ『慰安婦』問題」といった
テーマで話をする。
主催は、略称「反核医師の会」ということである。
しゃべりの途中で、2人の学生もやってくる。
彼らは、東須磨9条の会との
講演はしごの2連チャン。
こちら以上の忙しさである。
駅まで送ってくださったのは、
わがゼミの卒業生の父上だったという。
広いようで、世間は狭い。
企画には、高校生も参加しており、
原水禁大会に参加するための
カンパをしっかり訴えていた。
兵庫の平和ゼミからは、6名の参加があるらしい。
5時には、すべてを終える。
みんなで大丸のうらのビアホールへ。
冷たいビールで懇親会。
なつかしのサッポロビールをウグウグウグウグ。
各種取り組みの「親玉」である
T村先生とあれこれ話し、
さらに「原水禁大会に何度も行っている」
という高校生にもいろいろと聞く。
「どうして何回も行くの?」
「いつも違ったことが学べるから」
「いろんな人がいろんなことをやっていて
刺激がもらえる」と。
受け答えに、「しっかりとした自分」を感じさせられる。
ハラがふくれたところで一旦終了。
店を出ても、まだ外は明るい時間である。
家の遠い学生2人は、
ここで東へ向かって帰っていく。
6人ほどの少人精鋭(?)で、
2次会めざして移動する。
静かな場所をグイッと大きく占領し、
政治、ノロケ、連帯、立命、選挙、
角度の異なる運動のかけあわせ等
話題は多方面にゴロゴロころがる。
T村先生が、「1センチだけジンを」「ジンをもう2センチ」と
チビリチビリと注文している。
たっぷりやってのおひらきである。
JR「三宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「研究と運動対話の人」
および「就職問題対話の人」となり、
となりのコンビニで御祝儀袋を無事調達して、
10時すぎには家にもどる。
「ふくさが見当たらないが、このハンカチでなんとかしよう」
「スピーチの中身については、
明日の朝にすべてをかけよう」
そんな適当判断で、12時すぎにはとっとと眠る。
実に、気持ちのいい夕方、夜の時間であった。
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