林博文氏(関東学院大学教授)のHPをながめていて、次の新聞記事が紹介されていることに気づく。
リンクして、紹介させていただきます。
なお、同HPによると、この記事は「東京」ではまったく報道されなかったという。
根深い「菊タブー」ということだろうか。
「御真影」など焼却命令/旧海軍、戦争責任を意識か/英公文書館で暗号解読文書(2008.4.4 共同配信記事 2008.4.5 各紙に掲載)
一九四五年に日本が敗戦受け入れを決定した後、旧海軍が天皇の「御真影(写真)」などを含む重要文書類の焼却を命じた通達内容が4日までに、連合国側が当時、日本の暗号を解読して作成された英公文書で判明した。戦犯訴追に言及したポツダム宣言を念頭に、昭和天皇の責任回避を敗戦決定直後から意識していた可能性をうかがわせる希少な史料という。関東学院大の林博史(はやし・ひろふみ)教授(現代史)が英国立公文書館で見つけた。
研究者によると、当時の日本軍が出した文書類の焼却命令は現在、旧陸軍関係の原文が防衛省防衛研究所にわずかに残っているほか、米国立公文書館で旧陸軍による命令の要約史料として若干見つかっている。旧海軍関係の個別命令が原文に近い形でまとまって確認されたのは、今回が初めてとみられる。
重要文書類の焼却は、四五年八月十四日の閣議決定などを受け、連合国軍進駐までの約二週間に、政府や旧軍が組織的に実施。研究者らは、焼却は戦犯訴追回避が目的で、御真影などの焼却も、天皇と軍の密接な関係を可能な限り隠し、天皇の責任が追及されるのを避けようとした可能性もあると指摘している。
今回発見されたのは、四五年八月十六日から二十二日までの間に、東南アジアや中国などで連合国側に傍受された通達で、計三十五の関連文書のうち天皇関係は四文書。
同十七日の第二三特別根拠地隊司令官名の命令は「すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ」と指示。第十方面艦隊司令長官は翌十八日に御真影、紋章などを神聖なものとして「最大限の敬意を払い、箱に安置」するよう指示し、敵に渡る恐れがある場合は処分を命じた。さらに、二十一日のスラバヤ第二一通信隊の命令は「御真影は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に報告せよ」と、焼却を具体的に指示した。
ほかの焼却命令は、暗号帳や軍艦に関する文書、個人の日記などを細かく指定し、今後の「外交関係に不利となる恐れ」のある文書はすべて焼却するよう繰り返し指示していた。(ロンドン共同)
英公文書の要旨
旧日本海軍の暗号による文書焼却命令を解読して作成された英公文書の要旨は次の通り。
▽一九四五年八月十六日、第一七警備隊より
一、ポツダム会談の××(判読不明)、帝国は以下の手順で機密文書を処分することになった。
一、現在使用中の暗号帳、機密文書を除き、すべてを完全に焼却せよ。作戦終了後、残りも完全に焼却せよ。命令了解後、この通達も焼却せよ。
▽同、大本営海軍部第三部長より(海軍)学校長あて
一、捕虜や尋問に関する全文書は、敵に口実を与えないように、この通達とともにただちに確実に処分せよ。
▽同十七日、海軍より第九特別根拠地隊あて
一、軍艦旗、機密に関する本、資料、帳面、日記といった作戦の目的を敵に知らせる恐れがあるものはすべて即刻焼却せよ。この電文を内容理解後すぐに焼却せよ。
▽同、第二三特別根拠地隊司令官より同隊分遣隊などあて
一、すべての兵器などから(菊花)紋章を外せ。
▽同十八日、クパン分遣隊第六警備隊より
一、わが国の外交関係に悪影響を与える恐れのあるすべての暗号通信文や文書を焼却し、その旨を報告せよ。
▽同、第十方面艦隊司令長官より同艦隊などあて
一、天皇陛下の御真影、勅命、紋章などは最大限の敬意を払い、箱の中に安置せよ。敵の手に渡る恐れがある場合は処分せよ。
▽同二十一日、スラバヤ第二一通信隊より第六警備隊などあて
一、天皇の御真影と××(判読不能)は敵の手に渡らないように扱うべし。必要ならば、その場で厳粛に火にささげ、海相に電報で報告せよ。 (ロンドン共同)
原史料なく重要な発見
一橋大大学院の吉田裕(よしだ・ゆたか)教授(近現代史)の話
今回の英公文書から、旧海軍が一九四五年八月の段階で、天皇の戦争責任の訴追回避をかなり意識していたのは確かだと思う。焼却命令で、天皇の御真影や紋章などに言及した日本語の原史料は残っておらず、今回の発見は重要だ。
政府は敗戦で、開戦責任まで問われることは理解していた。焼却で天皇と軍の結び付きを弱く見せようとした可能性もある。連合国側が御真影などを入手した場合の日本軍将兵らへの衝撃などを恐れたとも考えられる。
政府や旧軍の焼却命令は関係者の回想などでは残るが、原文は陸軍関係が若干確認されただけだ。旧海軍の焼却の実態解明は最も遅れている。
この徹底焼却のため、日本の指導部を裁く東京裁判は証人に依存した裁判となった。対照的にドイツのニュルンベルク裁判は連合国側が押さえた証拠書類に基づく裁判と言われる。(ロンドン共同)
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