武良布枝『ゲゲゲの女房』(実業之日本社、2008年)、水木悦子『お父ちゃんと私-父・水木しげるとのゲゲゲな日常』(やのまん 2008年)を読み終える。
「ゲゲゲの鬼太郎」は、子どもの頃にテレビでながめていた。
その作者との再会は、「慰安婦」問題を学びはじめてからの「戦記物」。
南方で左腕をとばされた水木しげるは、そのマンガの中に、戦争の残酷さ、軍隊内部の異常な暴力、「慰安所」のあり様、「慰安婦」の悲しみ、兵士の空腹のつらさ、無謀で無意味な指導部の作戦……。
見たものを、おそらくありのままに描いている。
戦後も長く、メシの食えないつらい時期がつづいたそうだが、妻・布枝さんの本にはそうした人生との格闘の時期が印象的に書かれている。
他方、娘・悦子さんの本には、そうした時期を乗り越えた後の愉快な人柄が良く見える。出だしの話題が「屁」であるくらい。
それにしても、やはり自分の信念(魂)にそってものをつくりあげる人というのは、身近な人から見れば、手に負えぬほどの強情、身勝手な人間である。
それをゆるし、愛することのできる人間がいてはじめて、水木しげるはその力を十分に開花させることができたよう。
家族には、数に応じた組み合わせの妙があるということか。
コメント