9月8日から11日まで、学生たちと韓国を訪れる。
今回は、ビデオ撮影に専念しており、
「写真」はほとんど撮ることができず。
後日、同行のみなさんから集めたものを、
別に紹介したいと思います。
〔9月8日〕
9月8日は、8時30分起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
9時30分には、一族3人で外に出る。
相方運転のクルマに乗って、
11時ちょうどには、関空4Fに集まっていく。
京都のA子・B男・C男も早い時間にやって来ており、
新参との「ご対面」を達成していく。
B男・C男は「抱き方がわからん」と笑い、
新参もなんだか居心地が悪そうである。
自民党総裁選についての電話取材を受け、
空港の中でメモをみながら、あれこれしゃべる。
この旅行であだ名を定着させる
「重役」K島さんも到着し、
あれこれの手続きに入っていく。
今回の旅行参加者は、ゼミ生12名、甲南大学3名、
明治大学1名、近畿大学1名の他、
前年につづいての参加となったM尾さん、
岡山から一家でこられたS本さん3名、
体調をととのえて参加されたT花さん、
石川とその一族計4名(うち1名龍谷大学)と、
合計26名である。
別便でおくれて参加するT石さんもおり、
結局、総勢は27名の大所帯となる。
12時50分の離陸となる。
機内「ゴータの人」から「ビデオ撮影プランの人」へ、
「ウトウトの人」へと変態し、
3時前には、韓国・仁川空港に到着する。
ガイドをお願いしたKさんと合流し、
貸し切りバスでソウルへ移動。
バス代を安くあげるために
「免税店」にも寄っていく。
こちらがブラブラ時間をつぶすあいだに、
カネの計算をまちがえたB男・C男が、
さっそく全所持金を失っていく。
まったく、アホな話しである。
明日からのメシは、どうしていくのか。
6時にはホテルに入り、
ソウルの梨花女子大に留学している
Mさん(神戸女学院)・S藤さん(明治大学)
T島さん(武庫川女子大)さんと合流する。
さっそく、明治大学同士の交流がある。
学部も同じであるらしい。
世間というのは狭いものである。
今夜は、自由時間である。
学生たちは、さっそく元気に外にでかけ、
こちらは、Mさんたちの案内で、
おいしい食事にありついていく。
「明洞餃子」は、人気の店であるらしい。
食後は、グイッとソウルタワーに場所をうつす。
ソウルのタクシー事情には、
まだまだ課題があるようだが、
それでもなんとか全員到着。
ここは、観光客の多い場所で、
若者たちのデートスポットでもあるらしい。
展望台からは、360度の見事な夜景が見えていた。
10時30分には、ホテルにもどり、
1人で遅れてやってきたT石さんと合流する。
ここで、酒をあけながら、大人たちで、
戦争、制服、食料、自民崩壊などを語り合う。
11時30分には、学生たちももどってくる。
1時30分の就寝であった。
〔9月9日〕
9月9日は、8時起床の朝であった。
同じ部屋のT石さんと、さっそく外をブラブラ歩く。
地元の食堂に入り込み、
「いまの時間はこれしかないよ」という「朝定食」を食べていく。
おカネを払おうとすると、
店の大将が小指をたてる。
数字の6ということであったらしい。
1人3000ウォン(300円程度)の
合計6000ウォンということである。
10時には、全員でホテルを出る。
留学生のMさんも、同行する。
貸し切りバスで、ソウルを出て、
「ナヌムの家」に向かっていく。
11時半には、早めの昼食とする。
ここから先には、大人数で食事のできる場所がない。
料理は、ミニ韓定食であるらしい。
本当にたくさんの野菜が出てくる。
ここで、しばらく時間を調整し、
1時ちょうどには、「ナヌムの家」に到着する。
研究員のM山さんとは、1ケ月ぶりの再会である。
ボランティアで来ているという
東京外大院生のF橋さんは、
ゼミで出した本についての感想を
こちらにメールしてくれたことがあるという。
事前に連絡のあった早稲田の学生とも合流し、
ビデオを1本みて、
「日本軍『慰安婦』歴史館」に入っていく。
ビデオ撮影の許可をもらい、
あれやこれやを撮っていく。
4時からは、イオクソン・ハルモニの証言をうかがう。
質疑もふくめて、5時20分頃までのものとなる。
買い出し部隊、炭起こし部隊、
メシ炊き部隊などにグループが分かれ、
6時すぎには、中庭で、サムギョプサルを開始する。
夜のうちにソウルにもどらねばならない
早稲田の学生を優先し、
チームおっちゃん数人で
ワイワイいいながら焼いていく。
いっしょに食べてくれたペチュンヒ・ハルモニが、
大きな声で歌を披露する。
9時30分には、早稲田の学生たちがもどっていく。
後片付けを行い、
10時半には、部屋にもどる。
予定していなかったことに時間をとられていくが、
それもまたひとつの経験である。
2時すぎには、眠りにつく。
〔9月10日〕
9月10日は、7時起床の朝であった。
めざましは、いつもの白い犬である。
バシャバシャとアタマを洗って、
朝の中庭を歩いていると、
「ゴハンを食べなさいよ~」、
カンイルチュル・ハルモニが笑いながら
声をかけてくれる。
夕べのうちから、M尾さん・S本さんが用意してくれていた
朝食を、みんなでサクサク食べていく。
片づけを行い、掃除を行い、
9時30分には「ナヌムの家」を後にする。
「いつでも予定どおりに企画ができるように」
去年までなかった大きな雨よけが、
今年はしっかりついていた。
11時すぎにはホテルにもどり、
みんなの荷物を預けていく。
多少の時間調整ののち、
パゴダ公園に移動する。
1919年3月1日に
「独立宣言」が読み上げられた場所である。
たくさんのレリーフをビデオカメラにおさめていく。
独立運動指導者の像を映していると、
通りがかりのオジサンが、
その人物の名を聞かせて教えてくれる。
1時には、水曜集会の場所へと移動。
8月3日の大阪企画で会った(飲んだ)
挺対協のYノジャさんと再会し、
Yミヒャン代表とも言葉をかわす。
早稲田の学生もやってきて、
第830回の「水曜集会」がはじまっていく。
今日は、日本人比率がきわめて高く、
集会の随所に日本語への通訳が入り込む。
学生たち3人も、マイクをにぎって発言していく。
韓国からは民主労働党の党首も参加していた。
緊張のうちに、1時間の集会は終了する。
ホッと力が抜けたところで、
みんなで食事の場へと移動する。
初顔あわせのボランティアの学生さんが、
留学生Mさんと、梨花女子大で同じクラスであるとのこと。
互いが、それぞれ驚いていた。
ここでもまた、案外、世間は狭いのである。
ここから、学生たちは、自由時間の満喫にでかけ、
こちらはホテルにもどっていく。
シャワーをあびて、ベッドにころがる。
グイッと眠ってしまい、
3兄弟との集合時間におくれてしまう。
スマン、スマンと降りていき、
街をブラリ、ブラリと歩いていく。
問屋街なのだろうか、
消火器屋が3件ならんでいるなど、
日本では、なかなか目にせぬ光景がつづく。
7時には、ホテルのフロントにもどり、
チーム大人等の集合となる。
挺対協のYさんをまじえての夕食である。
近くの、やはり今夜も焼き肉屋へと入っていく。
8時すぎには、「ナヌムの家」から
M山さんもかけつける。
「新しくボランティアに来てくれた」
という日本の学生Y下さんもいっしょである。
店をかえ、ファーストフード店の路上で、
あれやこれやを話し合う。
日本の政治、韓国社会の課題など、
話題はグッと社会科学方面に向いていく。
たくさんの話しの中に、M山さんから
「日本へ行って赤字になることがある」との話題も出る。
ハルモニを招待する側の経費負担が
不十分な場合があるのだという。
日本のみなさん、もっとしっかりやっていこう。
M山さん・Y下さんが帰った後、
コンビニで酒を買い込み、
ホテルでワイワイつづけていく。
最後は2時30分の終了となった。
Yさんは、はたして無事に家にもどれたのか。
〔9月11日〕
9月11日は、8時30分一瞬起床の朝であった。
3兄弟に「朝飯無理」とメールを打って、
そのまま眠りつづけていく。
11時になって、ようやく立ち上がり、
12時集合に間に合っていく。
バスに乗り込み、途中、みんなで石焼きビビンバを食べ、
西大門刑務所を見学する。
独立運動の「義士」等を閉じ込め、
拷問し、殺害を繰り返した現場である。
学生たちといっしょに、
独房などにも入ってみる。
韓国の小さな子どもたちが、
先生につれられて学びに来ている。
同じ場所にいるのは、なかなかつらい。
3時には、バスで空港へ向かい始める。
途中、バス会社と契約する「お土産屋」にも寄りながら、
ゼミ生全員が、旅行の感想をマイクで語る。
それぞれの話しには、考えることの違いがあり、
新たな躊躇もあれば、深まる意欲もある。
こちらも、いくつかを語ってみる。
誰もが、自分のアタマで考えていく。
バカボンのパパではないが
「それで、いいのだ」。
チーム大人からS本さんや、
他大学の学生から甲南大学のKくんも発言する。
途中、バスを止めてもらっての発言交流の時間であった。
5時には、仁川空港に着き、
にぎやかに記念写真をとり、
各種手続きをとっていく。
6時には、3兄弟としゃべりながら夕食をとる。
それぞれに、思うところがあるらしい。
7時すぎには、離陸となる。
機内で、偶然、乗り合わせた
1年生に声をかけられてビックリする。
「自然の人」から「空科の人」へと変態し、
9時前には関空に着く。
おしまいの儀式では、
チーム大人からT石さんに語ってもらう。
そして、ただちに解散である。
迎えに来られていた
ゼミ長S川さんのオカアサンとご挨拶。
確か香川の方だと思うのだが、
なぜか伊勢の「赤福」をいただいてしまう。
ありがとうございました。
他大学の男子学生たちも、
はじめてマジメな顔で挨拶してくれる。
8時30分には、空港バスに乗り込んでいく。
しばらくすると、
A子からは「来年か、再来年、もう一度行きたい」と、
B男からは「自分の勉強もがんばる」と、
C男からは「ゼミ生の発言に学ぶところがあった」と、
それぞれなりに考えたメールが届いてくる。
わが3兄弟もふくめ、たくさんの人に、
新しいエネルギーを届ける旅行となったらしい。
車中「古典復習の人」となり、
JR「西宮」へ、「尼崎」へ、「加島」へ移動。
10時ちょうどの帰宅となった。
たくさんの郵便物をひろげ、
洗濯を行い、留守電を聞き、
190本のメールをホイホイながめていく。
この夏の人生に、また、
ひとつの区切りがついたということである。
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