11月3日は、11時起床の昼であった。
やはり、睡眠リズムの
「かまとばあちゃにぜーしょん」が進んでいる。
世間は「文化の日」などであるらしい。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
メールをさっそくカシャカシャカシャ。
「ああ、これはしゃべってみたいな」
と思う講演依頼があるが、
残念ながら日取りがあわず。
人生そんなものである。
昼は、自由軒のインディアンカレーをつくってみる。
カレーとゴハンをいっしょに炒めて水気をとばし、
皿に盛りつけて卵を落とす。
そして、ソースをかけて混ぜ合わせる。
つくるから食べるまで、
ともかく「混ぜる」が基本の食事であった。
1時半には、プラゴミを出し、
そのまま外にブラリと出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、
車中「授業準備の人」となって移動する。
「歩こうか」と迷ったが、
雨が落ちそうだった
のでやめにした。
「尼崎」で、ひさしぶりに『ビッグイシュー』をゲット。
話してみると、「2日に1度は来てますよ」とのこと。
長く会えなかったのは、
単なる偶然であったらしい。
スピード散髪でジャキジャキジャキ。
そのままいつもの喫茶店へ。
ここで、「女性書評書きの人」となる。
5時をすぎたところで、一応完成。
明日には、東京方面にガッシンである。
一息ついたところへ
京都自由大学から「講義概要を400字で書け」
とメールが入る。
チョチョチョと書いて、ただちにガッシン。
店を出て、家まで「歩こうか」と迷うが、
やはり雨が落ちそうだった
のでやめにした。
右翼日和見主義ともいえそうだが。
JR「尼崎」から「加島」へ、
車中「授業準備の人」となって移動する。
となりのコンビニで
野菜やミカンを仕入れて帰宅。
ただちに野菜山盛り炒めをつくっていく。
録画の「その時歴史が動いた」で
「江戸無血開城」をながめながら
パクパクパク。
とある同僚からのメールに、
「学生たちは石川ゼミの取り組みをよく知っている」
との激励がある。
卒業生からもメールが1つ。
「結婚式があるのでビデオカメラの前でコメントを」と。
う~む、M田M子嬢の学生時代について
急速に何かを思い出していかねば。
8時からは、「限界原稿書きの人」となっていく。
書きながら、「そういえば運動論は・・・」
なんてことを思いつき、
付け焼き刃で原稿をふくらませてみる。
11時をすぎたところで、
すっかりすべてがイヤになる。
脳味噌の餡子(あんこ)が切れたらしい。
ベランダから見る本日の夜景、
こちらは「大阪ナンバ方面」である。
こちらは、「舞洲、夢洲、
はては関空、紀伊半島方面」。
そして、こちらは「尼崎、西宮、
遠くに見えるは淡路島方面」。
本日の万歩計は、2667歩であった。
日和見主義者にはふさわしい
なんとも半端な数字である。
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