12月8日の電話インタビューをつうじて考えたことのいくつか。
戦後の長期の趨勢を逆転させて、1997年以降、全国の家計可処分所得は大きな低下を示してきた。橋本首相が「6大構造改革」を叫んだ瞬間からのことである。
97年から2006年までの所得減少額は、全世帯平均でなんと5万6000円。
これだけの所得が「構造改革」によって、全世帯から奪い取られた。
その後、一呼吸おいて登場した小泉首相は「改革の痛みに耐えよ」と「構造改革」の加速化を叫び、マスコミの煽りもあって、国民はこれに熱狂的な支持をあたえた。
しかし、小泉政権末期には、与えられた「痛み」のあまりのひどさに、国民世論も変化を見せる。
後継の安倍首相は、就任直後から「再チャレンジ」をいわずにおれず、福田首相はもっぱら「手直し」ばかりを口にしていた。
そして、2人つづけての政権放棄である。
その間、参議院選挙での歴史的敗北をふくみ、自民党への支持率は急速な低下を見せてきた。
「麻生が、やりぬく」と、言葉の勢いだけで局面打開をはかった現首相だが、状況打開の策は、いまにいたるも何一つない。
数々の失言・失態が仮になかったとしても、その政策に「構造転換」の転換、あるいは、せめて修正だけでも含まれなければ、支持率低下を食いとめるなど、そもそもできることではなかった。
今日、資本金10億円以上企業の内部留保は、総額でバブルのピーク時の2倍を超えるまでになっている。
ところが、そうして空前の利益をハラに蓄えた大企業たちが、何のたくわえもない非正規雇用者のクビを平然と切り、彼らを寒空のもとに放り出す非道の先頭に立っている。
「いくらなんでもヒドすぎる」。
マスコミも、いよいよ、黙ってはおれぬとの構えになりつつある。
くわえて、大きな政治改革の力を形成しつつあるのは、各地での正規・非正規連帯しての集会やデモ、非正規雇用者の組合結成やその支援、大企業や政府への抗議、
さらには政党指導者による大企業経営者に対する直接の抗議や麻生首相への直談判など、目に見える形での「社会的連帯」の発展である。
麻生内閣が、いま急速に、残りわずかな支持を失わせつつあるのは、こうした闘いの前進を直接のきっかけとしている。
この夏には、埼玉県松伏町の自民党支部が解散し、京都府下最大の淀分会が解散した。理由は、いまや自民党員でいることに「胸が張れない」ということである。
現場の自民党組織は、すでにたたかう部隊としての力を失いはじめている。京都市南区の市議補選では、定数1を争い、共産党に敗北した。
麻生首相が、3人連続での政権放り出しを行う可能性は高く、他方、自民党が、直後の「政界再編」を折り込み済みとして解散・総選挙に打ってでる可能性も十分にある。
「国民のくらしに責任をもつ政治」の実現を、いまほど声を大にして訴えるべき時はない。
さらに、注目しておきたいのは、自民党政治の破綻を目前に見つめながらの財界の政治に対する無策である。
参議院選挙での自民党大敗にもかかわらず、財界は保守政治の再建に向けたどのような積極的な提案も打ち出すことができずにいる。
2008年5月の日本経団連総会決議も「逆境を飛躍の好機に変える」と述べ、「われわれは、断固として(構造)改革を継続」すると強がるだけにとどまった。
その「改革」こそが自民党政治解体の最大の推進力であるにもかかわらず。
確かに、日本経団連は、「政策評価」を軸に、民主党にも献金斡旋を繰り返している。しかし、当の民主党自身が自民批判を抜きには選挙に活路を見出せず、その批判の色を弱めた最近は、自民党にかわって支持率を伸ばすことすらできていない。
もちろん、こちらには、それを心配してやらねばならない義理はない。
この点にかかわって、言っておきたいことの核心は、この2年ほどの政治の変化はそのように、きわめて根の深いものであり、いまわれわれが目にしている変化は、それが最初のホンの一部をなす、より巨大な変化のはじまりを示すにすぎないということである。
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