1月21日、8時すぎには「ゲラ直しの人」となっていく。
1時間ほどで、これを東京方面の
編集部と印刷所にズリズリFAX。
いま吐き出せるものは、すべて吐いたという気分。
自分なりに、次へのステップにはなっただろう。
つづいて、資本主義の発展段階論を考える
あれやこれやを探してみる。
アメリカ帝国主義であれ、東アジア経済であれ、
要するに求められているのは、
事実に即して、資本主義発展の内面の論理を
新たに深く、探ること。
「自由競争から独占へ」。
100年前のレーニンにあっては、
それが資本主義史の最大の歴史的な発展だった。
だが、独占段階の資本主義はただちに国家独占資本主義へと成熟し、
さらに、議会制民主主義の確立をへて、
経済に介入する「国家」の役割が大きな変化を遂げていく。
「ルールある資本主義」づくりをめざす現在の改革の方針も、
独占資本主義の経済を前提に、
社会の力によって、「国家」も活用しながら、
それを社会全体の利益によりそう形で制御しようとしていくもの。
国家独占資本主義の民主的改革である。
歴史の中に、技術や生産力の発展があるのはもちろんだが、その上で、誰のために、どのようにして
それらの力を活用していくか。
そこを決めるのは、やはり「資本と社会の衝突」である。
その論理を根底において、資本主義の発展段階およびその全史をとらえることが必要ではないか。
そんなことを、うすボンヤリと考えていく。
マルクスがこういったから、
レーニンがこういったからを前提にせず、
資本主義の歴史の現代的な到達に立って、
その全体を1つの論理でとらえていこうとする
執念深い努力が必要なのではないかと思う。
本日の万歩計は、7860歩。
学内を、歩きまわった成果である。
気がつけば、明日がミニ原稿の〆切であった。
はて、何をテーマにすえていったものか。
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