2月26日(土)は、4時半起床の朝であった。
ともかく「レーニン原稿の人」となっていく。
7時には、インフレ新参が起き上がり、
朝の生活につきあっていく。
メールは、組合、ゴクラク、出版方面。
新参が朝ゴハンに入ったあたりで、
こちらはノソノソ布団にもどる。
そして、立ち上がれば、世間は11時半。
新参と相方は、実家方面で、
病院およびゴクラク準備。
こちらは「多喜二予習の人」となり、
1時すぎには、外に出る。
JR「加島」から「京橋」へ、
車中「多喜二予習の人」となって移動する。
「京橋」ホームのベンチにしばらく座り、
パワポのいくつかを調整していく。
2時ちょうどには、
会場のクレオ大阪東に到着。
今日は「多喜二の火を継ぐ 2011年大阪多喜二祭」である。
暗く、静まり返った会場に、
ケイ・シュガーさんの「多喜二へのレクイエム」が響いていた。
大阪の多喜二祭は、まだ第5回とのことらしい。
実行委員長あいさつの後、
「全国各地の『多喜二祭』メッセージの紹介」
というのがある。
上の写真から、さらに入場者は増えていったようだった。
2時半から4時ちょうどまで、
「小林多喜二の生き方と”現代の探究”」
というテーマでしゃべっていく。
多喜二についてのわが最初の思い出は、
1977年自治会委員長選挙での候補者パンフ。
「好きな本」の一冊に、短編「人を殺す犬」をあげたこと。
「あたしゃ、がんばりますよ」という、
幼いなりのわが決意の表明だった。
選挙は、およそ1000票対700票という、
なかなかの激戦の中での勝利であった。
「多喜二が現代の大阪に生きていたら」
「週末だけ活動家なんてありえない」
「学習しない日なんて考えられない」
「『時代』を大きく受け止めながら、
目前の選挙にどれだけ大きな力を発揮したか」。
不安だらけのしゃべりだったが、
最後は時間が足りなくなっていく。
終了後は、ロビーでサインセール。
参加のみなさんと、いくつか言葉をかわしながら、
30冊以上はサインをしたか。
「この後(の食事)は、ダメなんですね」
「ええ、家族がつぎつぎインフルエンザで」。
JR「京橋」から逆コースに入っていく。
5時ちょうどの帰宅であった。
相方と新参は、大きなトランクをかかえて、
すでに家にもどっていた。
今年のゴクラクには新参も初参加の予定であり、
準備は例年以上に大がかりである。
昼食を、公園でほとんど全部もどしてしまった新参は、
(食後に走りまわると時々、こういうことがある)、
さすがに「おなかがすいた」といっている。
もどした現場は、ただちに周辺ハト密集の地域となり、
ハト的豪華なエサ場の様相を呈したらしい。
6時前には、一族で外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、
いつもの沖縄屋さんへ。
新参は、ミミガー、ソーキの軟骨方面に集中し、
ポークおにぎりをまるごと一個。
気がつけば、こちらにとっても、
本日最初の食事であった。
7時すぎには、家にもどり、
録画の「探偵アカデミー大賞」をながめながら、
座椅子でウトウトの人生に。
風呂上がりの裸新参に起こされる。
8時半には、YOUTUBEの「トム・ジェリ」で、
今夜もにぎやかに寝かせていく。
いっしょに眠って、
立ち上がれば12時すぎ。
グダグダリズムの毎日は、
明日(今日)には一区切りとなりそうだ。
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