3月15日(火)は、9時起床の朝であった。
青汁コーヒー片手に、
ネット情報をながめていく。
メールは、確定申告、組合、
年度末宴会、原稿書きなど。
そして「レーニン原稿の人」となっていく。
11時になって、何か食べておいた方がいいと気づき、
しいたけ玉子うどんを食べていく。
現在は、第3次の収穫期。
しいたけよ、オマエも募金活動のエネルギーに。
11時半には、外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、「元町」へ、
車中「訴えメモ作成の人」となって移動する。
駅を出ると、まずは、こちらのみなさんに出くわしていく。
100円玉を放り込みながら、ちょいと立ち話。
写真撮影も快諾であった。
交差点をこえると、今度は元気な高校生たちの声が。
「ボクは、3年で受験で、今日は自宅学習日です」
「2年のみんなは、先生に声をかけられて・・・」。
こちらにも、100円玉を放り込んでいく。
さて、急いだわが行き先は大丸前の交差点。
今日の主催は、阪神・淡路大震災救援・復興県民会議である。
あの震災から16年の活動実績をもっている。
地元の復興はもちろんだが、
全国各地の被災者支援に取り組み、
政治にも様々なはたらきかけを行ってきた。
集まった団体の代表が、次々と訴えに立っていく。
「16年前の苦労を思い起こし」
「現地に向かった看護師の方は・・・」。
すでに現地支援者を送り出した団体もある。
こちらも2度ほどしゃべらせてもらう。
「被災者支援と支援者の応援に、いまは募金が必要」
「日本社会全体に与えられたこの試練を、
みんなの力をあわせて乗り切っていこう」。
仕事の昼休みを利用して、50名ほどの方がかけつけた。
募金してくださる方も多い。
若いカップル、若い男の子たち、孫の手を引いたオバアサン、
杖をついたオトウサン、買い物途中のオカアサン、
仕事中のサラリーマン、はずかしそうな若い女性・・・。
目の前に止めた軽トラの中から、「お~い」と、
1000円札を突き出してくれたオカアサンもいた。
びっくりしたのは、時々、わが家のパソコン周辺を
みてもらっている、S木さんが来られたこと。
「ブログで見てましたから」「職場も近いし・・・」。
みなさん、ありがとうございます。
マスコミも、テレビ・新聞など各社がかけつけてくれた。
募金してくれた人たちへのインタビューも。
被災地や全国を激励する、いい記事を書いてほしいと思う。
いまは緊急の支援の拡大が必要だが、
より長期的には、被災者の生活再建に向け
必要資金が確実に個人の手に届くルールをつくること。
また、原発だらけのいまの日本で本当にいいのか、
そこを真剣に考えていく必要もある。
党派をこえて、議員がそろって同じ場で
募金を訴える地方もあると聞く。
豊かなエネルギーをもつ人たちが、
選挙のために力を分散させる時ではない。
いまは力をあわせるべきだ。
プロの支援と、全国からの祈りと募金。
昼休みの45分は、あっという間に終わっていった。
たくさんの募金箱が集められる。
急いで職場にもどる方もある。
被災地支援の募金活動は、
まだしばらく続く、長期の取り組みとなっていく。
次の機会も、お知らせしたい。
正味40分ほどの短時間だが、
あつまったお金は、29万2336円。
これは、日本赤十字を通じて、被災地支援に役立てられる。
15日付け日記を拝見して涙がでました。
東京多摩地域、ガソリンが売り切れ。
赤旗を届けるための出張所の車に
何時間も並んで今日やっとガソリンを入れました。
調味料以外の食品、特にパンなどが昼までに売り切れてしまっています。
多摩ニュータウンの居住者も高齢化しており、ガラスケースや積み上げたものなど、地震の片づけが困難です。
これまで気張っていた精神が神戸からのメッセージでゆるみ、涙がでました。
ありがとうございます。
投稿情報: 近澤美樹 | 2011/03/15 16:18